今回、琵琶湖文化館の所蔵品の中から湖東焼の赤絵金彩唐人物図酒杯をご紹介します。湖東焼は、江戸時代後期に花開いた焼物で、文政12年(1829)に彦根城下の商人絹屋半兵衛たちによって始められ、12代彦根藩主井伊直亮の時、天保13年(1842)に彦根藩へ召し上げられました。この時期から湖東焼は高級品として生産され、13代井伊直弼の時に最盛期をむかえます。
この酒杯に絵付けした幸斎は、直亮の晩年から直弼に替わる頃の、ちょうど湖東焼の最盛期を迎えつつある時期に活躍した人物です。幸斎は、もとは飛騨高山の僧で、のちに還俗した人物と言われており、絵付師として井伊直弼から高く評価されていました。現存する幸斎の作例はあまり多くはなく、そのほとんどが赤絵金襴手のものです。現存作例に記されている「嘉永年中」の年紀や直弼が認めた書状から、幸斎は嘉永年間のごく初めの1、2年の間に彦根で活躍し、嘉永3年7、8月ごろには彦根を後にして京都へ移ったと考えられています。幸斎が彦根で腕を振るった期間は非常に短かったのですが、直弼が再三彦根に連れ戻すように指示するほど、非常に優秀な絵付師でした。
この2口の酒杯にもその腕が遺憾なく発揮されています。口径6.1㎝、高さ3.7㎝の小さな作品に、自然の中で酒を嗜む中国の老人と青年が描かれており、「氷雪淡相看」という詩句が添えられています。大変細い筆致で人物の寛いだ表情や背景が描かれて、緻密な絵付けとなっており、濃厚な赤色に金彩が映える作品です。当時は陶磁器で思い通りの色を出すのは簡単ではありませんでした。幸斎も赤色を出すのに苦労し、焼き上がった赤が黒ずんでしまうことも度々で、直弼から発色のよい赤を出すようにと指導を受けたこともありました。赤絵の湖東焼は幸斎の他にも鳴鳳などが手掛けていますが、幸斎の赤絵は一層深く濃厚な色合いを見せ、この酒杯にもその特色があらわれています。
赤絵金彩唐人物図酒杯は、小品ながら美しい赤絵金襴手をご堪能いただける逸品です。
※本作品は平成28年に、彦根城博物館で開催された「琵琶湖文化館所蔵の名品―彦根ゆかりの書画とやきもの―」にて出品されました。
( 稲田 素子 )