東近江市八日市地域の大凧は江戸時代中期、男子出生を祝って五月の節句に揚げられたのが始まりといわれます。凧は徐々に大きくなっていき、百畳大凧と呼ばれる縦13メートル、横12メートル、重量700キログラムにも及ぶ巨大なものが登場するまでになりました。昭和28年に八日市大凧保存会(現・東近江大凧保存会)が結成され、平成5年に国選択無形民俗文化財として選択されて、習俗の伝統が継承されています。
大凧には絵と文字があらわされます。凧の上部に魚や鳥の絵を墨で描き、下部には朱色の大きな文字を書いて、絵と文字の組み合わせで意味をもたせる「判(はん)じもん」の手法によって、その時々のメッセージを大空から伝える趣向です。また、切り抜き工法によって風の抵抗を少なくしているのも全国的に珍しい特徴だといわれています。
本館に所蔵する大凧にも、典型的な「判じもん」の手法が用いられています。上部に大きく二匹のエビ(海老)が描かれ、これで「かいろう(海老)」。さらに最上部に緑色(緑青)で「同」、下部の中央に朱色で「穴」の文字が書かれており、あわせて「偕老同穴(かいろうどうけつ)」と判じます。
「偕老同穴」とは、夫婦が仲睦まじく偕(とも)に老い、死しては墓穴を同じくして葬られることをいいます。永遠の夫婦愛を示す、お目出たい、素晴らしい言葉です。館蔵の大凧にどうしてこの「判じもん」が示されているのかは不明です。結婚のお祝いか、金婚式など夫婦の記念日に揚げられたのかもしれません。縦横ともに2メートル級の大きさですから、たくさんの人によって揚げられたはずです。人生の節目を大勢で祝福しようとする、家族親族や地域社会の温かい絆が、微笑ましく感じられます。
*「判じもん」の解釈については、世界凧博物館東近江大凧会館からご教示をいただきました。
大凧には絵と文字があらわされます。凧の上部に魚や鳥の絵を墨で描き、下部には朱色の大きな文字を書いて、絵と文字の組み合わせで意味をもたせる「判(はん)じもん」の手法によって、その時々のメッセージを大空から伝える趣向です。また、切り抜き工法によって風の抵抗を少なくしているのも全国的に珍しい特徴だといわれています。
本館に所蔵する大凧にも、典型的な「判じもん」の手法が用いられています。上部に大きく二匹のエビ(海老)が描かれ、これで「かいろう(海老)」。さらに最上部に緑色(緑青)で「同」、下部の中央に朱色で「穴」の文字が書かれており、あわせて「偕老同穴(かいろうどうけつ)」と判じます。
「偕老同穴」とは、夫婦が仲睦まじく偕(とも)に老い、死しては墓穴を同じくして葬られることをいいます。永遠の夫婦愛を示す、お目出たい、素晴らしい言葉です。館蔵の大凧にどうしてこの「判じもん」が示されているのかは不明です。結婚のお祝いか、金婚式など夫婦の記念日に揚げられたのかもしれません。縦横ともに2メートル級の大きさですから、たくさんの人によって揚げられたはずです。人生の節目を大勢で祝福しようとする、家族親族や地域社会の温かい絆が、微笑ましく感じられます。
*「判じもん」の解釈については、世界凧博物館東近江大凧会館からご教示をいただきました。
( 井上 優 )