(↓膳所城)
(彦根城↓)
「扶桑」は、もとは古代中国において東方の海上にあるとされた神木という意味でしたが、それが島国を指し示すようになり、日本の異称となりました。「扶桑城郭志」は、日本の城郭についての記録、つまり城絵図ということになります。これは、東北から九州に及ぶ城郭の絵図と城主の変遷を記した「主図合結記(しゅずごうけつき)」という城絵図を手本に写したものです。「扶桑城郭志」には、近江では膳所城、水口城、彦根城が収載されており、膳所城は湖畔へ突き出た本丸と二の丸が特徴的であり、膳所藩四代藩主までの名を見ることができます。彦根城は湖水を引き込んだ堀があり、その中央に本丸、左右に東郭、西郭があります。なお、左下方に御殿場が描かれていますが、ここに現在建っているのが彦根城博物館です。
こうした江戸時代の城絵図を見てその時代をさまざまに研究するだけでなく、古い資料を参考に現在の姿を見直してみる、こうした作業を通してふるさとの歴史に触れるのも、歴史を勉強する一つの醍醐味ではないでしょうか。
(彦根城↓)
「扶桑」は、もとは古代中国において東方の海上にあるとされた神木という意味でしたが、それが島国を指し示すようになり、日本の異称となりました。「扶桑城郭志」は、日本の城郭についての記録、つまり城絵図ということになります。これは、東北から九州に及ぶ城郭の絵図と城主の変遷を記した「主図合結記(しゅずごうけつき)」という城絵図を手本に写したものです。「扶桑城郭志」には、近江では膳所城、水口城、彦根城が収載されており、膳所城は湖畔へ突き出た本丸と二の丸が特徴的であり、膳所藩四代藩主までの名を見ることができます。彦根城は湖水を引き込んだ堀があり、その中央に本丸、左右に東郭、西郭があります。なお、左下方に御殿場が描かれていますが、ここに現在建っているのが彦根城博物館です。
こうした江戸時代の城絵図を見てその時代をさまざまに研究するだけでなく、古い資料を参考に現在の姿を見直してみる、こうした作業を通してふるさとの歴史に触れるのも、歴史を勉強する一つの醍醐味ではないでしょうか。