服部岩吉は滋賀県最初の民選知事です(戦前までの知事は国から派遣されてきたいわゆる「官選知事」でしたが、戦後、民主主義のもとでわが国が復興を果たそうとする中、民衆が選挙で選ぶ「民選知事」が登場します)。服部岩吉は明治18年(1885)に栗太郡御園村辻越(現 栗東市御園)の酒造業を営む家に生まれ、金勝村村長を務めた後に滋賀県会議員に当選し、一度落選するものの衆議院議員に当選を果たしています。第一次吉田茂内閣が成立すると厚生政務次官を務めるなど、戦後の国政において期待された人物であったといえます。ところが昭和22年(1947)、地方自治法が公布されて初の知事選挙が告示されると、服部はこれに出馬して見事当選、初代民選知事となったのです。服部岩吉は知事を二期務め、その間に滋賀県立産業文化館(琵琶湖文化館の前身)や滋賀会館を設置、滋賀県美術展覧会を開催するなど、文化面にも力を注ぎました。
服部岩吉が文化政策に意欲を見せることができたのは、服部自身が「江南(こうなん)」の号で書や絵をたしなむなど豊かな教養があったからです。本書は、「文質兼備始得全」というもので、外見の美と内面の実質を指し、表に現れた優れた学識・態度・容貌と、内側の素朴な人柄の両方を備えることですべてを得ることができるという意味です。
服部岩吉が文化政策に意欲を見せることができたのは、服部自身が「江南(こうなん)」の号で書や絵をたしなむなど豊かな教養があったからです。本書は、「文質兼備始得全」というもので、外見の美と内面の実質を指し、表に現れた優れた学識・態度・容貌と、内側の素朴な人柄の両方を備えることですべてを得ることができるという意味です。