今回紹介する作品は、戦前に活躍した郷土史家・中川泉三(なかがわ せんぞう:1869―1939)の書です。
皆さんも図書館などで『○○県史』、『○○市史』といった、都道府県や市町村ごとの歴史や文化をまとめた書物を目にしたことがあると思います。彼は、滋賀県のそういった地域史、地方史編纂(へんさん)の先駆者となった人物です。
中川(雅号は章斎)は坂田郡大野木村(現 米原市大野木)に生まれ、郷里の坂田郡の歴史・文化を『近江坂田郡志』としてまとめるにとどまらず、『近江蒲生郡志』や『近江栗太郡志』、『近江愛知郡志』など滋賀県各地の郡志編纂を手がけ、地域史研究の基礎を築きました。これらは、滋賀県の歴史や文化を学ぶ人々にとってのバイブルといっても過言ではありません。彼の携わった調査・研究の資料や郡志編纂関係資料など約47,000点は、現在、滋賀県の指定文化財となっています。
中川が当時において画期的であったのは、東京帝国大学(現 東京大学)などの中央の歴史学者と積極的な交流も持ちながら、地域史研究を進めた点です。特に、東京帝国大学教授であった久米邦武(くめ くにたけ:1839~1931)からは近代歴史学の実証的な手法を学び、自らが携わった調査・研究や編纂事業に役立てています。
さらに中川は、漢詩創作にも意欲的で、著名な漢詩人であった小野湖山(おの こざん:1814~1910)や土屋鳳洲(つちや ほうしゅう:1841~1926)に自作の漢詩の添削を依頼したり、自らも詩集を発刊しています。
ちなみに彼が初めて編纂した書物は意外にも史書ではなく、『賤岳懐古集』(明治23年)という漢詩集です。題名の通り、織田信長の亡き後、羽柴秀吉と柴田勝家がその覇権をめぐって争った"賤ヶ岳の戦い"を題材にした漢詩文をまとめたものです。この詩集の刊行については逸話が伝わっており、友人と姉川や賤ヶ岳の古戦場を訪れた際、激戦地となった大岩山の中川清秀(1542~1583)の墓碑をみて、発刊を志したといいます(『中川章斎先生小伝』)。同じ中川姓であったこともあり、また諱を「成秀」といい、戦国武将・中川清秀に少なからぬ親しみを感じていたようです。
本作品も「賤岳懐古」との題のある七言絶句の漢詩文で、中川清秀が討死した大岩山砦について、また「鬼将七雄」(いわゆる賤ヶ岳の七本槍)の奮戦について懐古し、詠っています。
郷土史に精通し、漢詩創作を好んだ中川泉三らしい書といえるでしょう。
( 渡邊 勇祐 )