琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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近江の文化財

 大正天皇宸翰「整風俗理人倫」   1幅     近・現代   本館蔵

 

 天皇が書いた書跡のことを、「宸翰(しんかん)」といいます。「宸」は天皇や中国皇帝に関する語の上に添えて用いる言葉で、「宸翰」の元来の意味は“天皇が用いるお筆”のことです。それが転じて、天皇自筆の書のことも「宸翰」と呼ぶようになりました。 「宸翰」は帝王の書として珍重されます。日本史上、最高の地位にあった歴代天皇の書として歴史研究上重要であることに加えて、各天皇の事績・人格や資性・教養などを知る文化史上の史料でもあり、宸翰様と呼ばれる名筆を生んだ美術的価値の高さもあるなど、文化財として魅力にあふれた存在です。

 とくに大正天皇の宸翰は、柔らかくて堂々とした気風があり、名品の多いことで知られています。天皇はまた、漢詩・漢文にもすぐれていたことから、漢文を書いた一行書の本格的な作品が多く残されています。

 本作品もゆったりとした運筆で壮大なスケールの六文字を縦一行に書いたもので、「王者の風格」をもつといわれる大正天皇の書風を如実に示した、典型的な優品です。「絖本(こうほん)」という、光沢のある特別な絹地に書かれています。

 書かれた文字は、「整風俗理人倫」。風俗を整え、人倫を理(おさ)める、と読みます。風俗という言葉には身なりや服装を指す場合や、土地で行われる詩歌のことを意味することもありますが、ここでは、社会の風習について述べていると思われます。社会の風習をしっかりと整えて、人たる道を正していこう、という意味合いでしょう。中国の古典(『晋史』などに同じ言葉が出てきます)を典拠にしたとみられ、大正天皇の教養が非常に豊かであったことを窺うことができます。

 さて、本品では「風」という文字が用いられていますが、宮内庁の東山御文庫や図書寮文庫に所蔵される大正天皇の宸翰にも、「春風徧宇宙」や「徳感人風動物」など、「風」という文字が入っている作品の多いことが注目されます。天皇は「風」という文字や言葉がお好きだったのかも知れません。践祚するまではたいへん行動的で、風のように精力的に外出された天皇にふさわしい文字だといえるのではないでしょうか。大正天皇は皇太子時代に三度、即位後に一度の計四度、滋賀県に行幸啓(ぎょうこうけい)しています。皇太子嘉仁親王としては明治43年(1910)4月の陸軍参謀演習、同年10月の県内巡啓、および明治45年(1912)の陸軍参謀演習。即位後は大正6年(1917)の陸軍特別大演習であり、ひんぱんに湖国訪問の機会があったことがわかります。これほど行幸啓の盛んな天皇は、当時の県民にとっても親しみのある存在だったはずです。

 しかしながら、最後の湖国行幸に先立つ大正2年ころから天皇は目立って健康を損ねるようになり、大正10年(1921)には皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)が摂政となって天皇に代わって政務をとることとなりました。その後も病状が回復することなく、大正15年12月25日、47歳の若さで崩御します。非運の生涯を歩まれた天皇でしたが、宸翰は対照的に、気宇壮大で明るい雰囲気に満ちています。大正天皇の知られざるこころの内に、どのような「風」が吹き渡っていたのだろうかと、書を通して想像してみたくなる、貴重な逸品です。

 「大正天皇宸翰」は、令和元年(2019)7月27日(土)から9月29日(日)の間、甲賀市土山歴史民俗資料館にて開催された琵琶湖文化館地域連携企画展「歴代天皇と近江-琵琶湖文化館 館蔵品より-」に出展されました。

( 井上 優 )