近江国比良庄絵図 1鋪 |
重要文化財 室町時代 |
(おうみのくにひらしょうえず) 北比良財産管理会蔵 |
法量 縦 78.7 × 横 125.4 cm |
近江国比良庄とその周辺の景観を描いた中世の絵図。鎌倉時代後期に作成された原図を、室町時代に写したものです。
比良庄は、現在の滋賀県大津市と高島市にまたがる領域を有した広大な庄園で、長保3年(1001)に平惟仲(たいらのこれなか:944~1005)が喜多院へ施入した比良牧を前身とします。平安時代末期に比良牧が分割され木戸庄、比良庄、小松庄が成立。鎌倉時代から室町時代にかけて、比良庄の領主は延暦寺や円満院、一色氏、日野氏などが変遷します。
本絵図は西を天として描かれつつ、画面の下半分は琵琶湖から比良山系の山々を仰ぎ見る構図、画面の上半分は空から比良山北部を見下ろす構図をとっています。山々や琵琶湖、湖水に流れ込む多くの河川、特色のある樹木や岩などのランドマーク、さらに平地部の庄園群(南から木戸庄、比良庄、小松庄、三尾庄、音羽庄)を描いています。描線は墨で描き、山林には緑青で彩色を施しています。
地名や寺社名などの注記が豊富に存在することから、それらの現地比定が可能です。例えば「白ヒケ大明神」は高島市鵜川の白鬚神社、「比良ノ本庄小松ノ庄社」は大津市北小松の樹下神社にあたると考えられます。
比良庄の庄域は墨線の内側であることが示されますが、南の木戸庄との境界には「此朱点比良木戸堺」と注記があり、原図には朱の注記も存在したことがわかります。北の小松庄との境界は別紙を当てた部分に引かれ、原図をそのまま写したのではなく、何らかの改竄を行った可能性が指摘されます。他の所蔵者のもとに存在する類似の絵図との比較によって、本絵図が作成された背景の一つには比良庄が小松庄に対して自らの境界を広めに主張する意図が存在したと考えられています。 |
※写真をクリックすると、拡大画像を見ることができます。
|
また、絵図には弘安3年(1280)と永和2年(1376)の二つの裏書がありますが、いずれも原図の文字を転写したものです。弘安3年の裏書は、小松庄・音羽庄と比良新庄(比良庄)の境相論について、三庄を領有していた円満院が朱点で境を定めることを裁許したものです。永和2年の裏書は、比良庄と音羽庄の境相論について、弘安の絵図に任せて当時の比良庄の領主であった延暦寺供僧方と音羽庄の領主であった音羽衆が連署して裁許したものです。
中世の庄園絵図として豊富な情報を持ち、地名などから現地比定できる部分も多い。裏書からは絵図の作成背景なども推定されて、これまでに社会経済史の研究に盛んに活用されてきました。近江の庄園を描いた数少ない中世絵図として、極めて貴重な存在です。
( 井上 優 ) |