小野湖山(おのこざん・1814~1910)は「明治の三詩人」の一人といわれています。湖山は号で、本名(諱)は長愿(ちょうげん)。近江国浅井郡高畑村(現長浜市)の出身です。医師の子として生まれましたが医学を好まず、梁川星巌(やながわせいがん・1789~1858)に師事して漢詩文を学び、星厳の「玉池吟社」社友となり頭角を現しました。
三河吉田藩に仕え江戸や京都で志士として活動、巌谷一六(いわやいちろく・1834~1905)とも親交を結んでいます。維新後は新政府の総裁局権参事となりましたが、廃藩置県を契機に辞官。詩壇の重鎮として私的な詩作にふけりました。
本作は明治23年(1890)、巌谷一六の母の傘寿祝賀のために制作されたもので、瑞松院への祝意や孝子たる一六への敬意などを述べ、巌谷家の子孫繁栄ぶりを寿ぐ内容を記しています。湖山らしい整った唐様の行書で、品よく賀詞を書き上げている逸品です。
三河吉田藩に仕え江戸や京都で志士として活動、巌谷一六(いわやいちろく・1834~1905)とも親交を結んでいます。維新後は新政府の総裁局権参事となりましたが、廃藩置県を契機に辞官。詩壇の重鎮として私的な詩作にふけりました。
本作は明治23年(1890)、巌谷一六の母の傘寿祝賀のために制作されたもので、瑞松院への祝意や孝子たる一六への敬意などを述べ、巌谷家の子孫繁栄ぶりを寿ぐ内容を記しています。湖山らしい整った唐様の行書で、品よく賀詞を書き上げている逸品です。
( 井上 優 )
※「小野湖山 書跡」は、令和6年(2024)9月21日から11月24日まで、(公財)日本習字教育財団観峰館にて開催の「滋賀限定!近江ゆかりの書画-古写経から近代の書まで-」に出展しています。