明智光秀寄進状 1通 | 安土桃山時代 (天正5年 / 1577) |
(あけちみつひで きしんじょう) 大津市 聖衆来迎寺蔵 |
法量 縦 30.6 × 横 44.6 cm |
近江の名刹・聖衆来迎寺(大津市比叡辻)から、このたび「明智光秀寄進状」が発見されました。滋賀県立琵琶湖文化館が調査鑑定したところ、45年ほど前から所在不明となっていた重要史料の再発見であることが判明しました。 今回再発見された明智光秀寄進状は、天正5年(1577)に坂本城主であった明智光秀が来迎寺(聖衆来迎寺の略称)にあてて発給したもので、「仏供料」(仏を供養するための料米)として78石9斗2合の米を寄進することを伝えた内容です。 戦前期に東京大学史料編纂所によって調査され、明智光秀と地域寺院との関係を知ることができる重要史料として知られてきましたが、原本の所在は不明となっていました。令和6年10 月に聖衆来迎寺から発見の連絡を受け、現地にて実見、東京大学史料編纂所の影写本や他の明智光秀文書などと比較したところ、天正5年(1577)に発給された古文書の原本であることが確認できました。 原本が見つかったことで、古文書の物質的な特徴が明らかとなり、「折紙(おりがみ)」と呼ばれる態様であったこと、「檀紙(だんし)」と呼ばれる上質の和紙に書かれていることなども明らかとなりました。 古文書は古い時代に虫損を被っていたようですが、二重の包紙(ほうし)に包まれて厳重に保護されており、包紙の上書きには聖衆来迎寺第32 世住職の筆跡で「明智光秀寄進状」と書かれていたため、これ以上の損傷が進まないよう、保存の目的で包紙に包み手許で大事に管理していたものと推測されます。 聖衆来迎寺には、光秀が坂本城から移築したといわれる重要文化財の表門があり、天正8年(1580)に光秀が寄進した旨を追刻した梵鐘も所蔵されるなど「明智光秀ゆかりの寺」として著名です。今回、光秀との関係を直接示す一次史料が再発見されたことは、改めて坂本城主としての明智光秀が地域寺院に信仰を寄せていた歴史に光が当たるものと期待されます。明智光秀文書の研究の上で、たいへん意義深い発見と言えます。 ( 井上 優 ) |
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