松平定信(1759~1829)は江戸時代中期の大名で、幕府の老中であった人物です。寛政の改革を主導した政治家として知られています。
八代将軍徳川吉宗の孫として生まれ、幼少期には徳川(田安)賢丸(たやす・まさまる)と呼ばれていました。のちに白河藩松平家を継いで第三代藩主となった定信は、天明の大飢饉における藩政建て直しの手腕を認められ、天明7年(1787)から寛政5年(1793)まで老中首座として寛政の改革を断行しました。改革は農村の維持・復興と旗本・御家人の救済を主軸にしながら、学問や出版の統制など厳格な側面も強く、直前の「田沼時代」に比べて一般に町人文化を圧迫する政治であった印象がもたれています。
ただし、定信自身は文化的素養の高い人物で書画や古物に関心を寄せ、本草学や洋学など実践的な学問にも造詣が深く、近江では石山寺座主の尊賢僧正(1749~1829)らと親交を結んでいました。
琵琶湖文化館が所蔵する定信の書は、行書の二行書で、大字で書かれた迫力ある作品です。渇筆(かすれ)を交え、勢いを生かして豪快に五文字を書き上げ、伸び伸びとした筆さばきがとても快く感じられます。内容は中国唐代の詩人・杜審言(645~708、杜甫の祖父にあたる)の詩文から引用したもので、長安の都の春をうたいあげたものです。
制作年は引首印(作品の完成時に捺す落款印)に「甲申」とあることから、文政7年(1824)と考えられます。老中失脚のあとの時期にあたりますが、作品から受ける印象は爽やかなものであり、晩年期における定信の心中が表れているとすれば興味深く、味わい深い作品です。
( 井上 優 )
🌟令和7年のNHK大河ドラマ「べらぼう」の主要登場人物の一人として、松平定信(田安賢丸、演:寺田心)が発表されており、どのような人物像で描かれるのかが楽しみですね。
※「松平定信 書跡」は、令和6年(2024)9月21日から11月24日まで、(公財)日本習字教育財団観峰館にて開催の「滋賀限定!近江ゆかりの書画-古写経から近代の書まで-」に出展しました。