琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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近江の文化財

 一絲文守 偈文  1幅          江戸時代・寛永18年(1641)  本館蔵

     

絹本墨書〔法量 縦 27.7 × 横 59.0 cm〕

 東近江市にある臨済宗永源寺派の大本山・永源寺は、戦国時代の動乱の中で一旦は荒廃しますが、江戸時代に復興の旗手となったのが、高僧・一絲文守(いっしぶんしゅ・1608~46)でした。一絲文守は、公家の岩倉具堯の三男として京都に生まれ、相国寺の雪岑梵崟に学問を学び、次いで沢庵宗彭に師事し禅の修行を重ねます。元来、公家の素性であったため、近衛信尋や烏丸光広らと交流を深め、後水尾院より厚い帰依を受けました。丹波に桐江庵(現在の法常寺)を構えていましたが、後水尾院は御所の近くに霊源庵(現在の霊源寺)を建て一絲を住まわす程、院は一絲を崇拝していました。

 琵琶湖文化館に所蔵される偈文(げもん)は、寛永18年、一絲が桐江庵に住した頃の作品です。偈には、「思惟の心を以て円覚境界を測り度せんをや、蛍火を取りて須弥山を焼くが如し。思惟の心を用いざるはまたいかん、探索せよ。」とあり、物事の根本を深く考える心で仏の境地を測ることは、蛍のような僅かな火によって須弥山を焼くようなものであり、その境地を測ることはできない、であるからといって思惟の心を用いないことはいかがなものか、各々考えよ!、という禅問答です。一絲らしい謹厳で実直な性格と、語りかけるような流麗な筆捌きは見応えたっぷりです。

 この翌年、永源寺の空子元普の説得に応じて同寺に招聘され、直弟子の如雪文巌と共に永源寺の復興を遂げていきます。この頃、一絲は既に病に冒されており、3年後の正保3年(1646)、僅か39歳で示寂しました。この作品は、自らの死期を予感し、終末の準備を果たそうとしていた頃の書なのかもしれません。

( 寺前 公基 )

     

 

※この作品は令和6年度「近江ゆかりの書画―古写経から近代の書まで」に出品された作品です。