写真にあるのは、琵琶湖文化館で収蔵保管している土師器の甑(こしき)・釜・竈(かまど)という炊飯具です。大津市滋賀里の大通寺古墳群から出土しました(向かって右はC-1号墳出土、左はC-2号墳出土)。これらの土器は、竈に火をくべて、水を入れた釜を据え、底に大きな穴をあけた甑をその上に置いて、米などを蒸すのに使います。炊飯具は集落跡から出土するのが普通ですが、これは死者を葬る古墳の石室で発見され、日常の炊飯具としては使用されていないことから、葬送の儀礼において副葬されたものと考えられます。
大津市北郊に広がる比叡山の山裾では、700基を越える横穴式石室の円墳が見つかっています。古墳時代後期(6世紀ごろ)には全国でこうした群集墳が造られますが、大津市北郊の、特に坂本から皇子が丘にかけての地域では、天井がドーム状になる横穴式石室に、ミニチュア炊飯具を副葬品として供えるという、他所にはあまり見られない特徴があります。このような石室の形態や副葬の風習の源泉が、中国大陸や朝鮮半島に求められることと、古代の文献によりこの地域に渡来系氏族の居住していたことが知られることから、大津市北郊の古墳は渡来人によって築かれたものと考えられています。中でも大通寺C-1号墳は、6世紀前半という比較的古い時期の横穴式石室古墳です。ここに供えられた炊飯具が、ミニチュア品ではなく実用できる大きさ(竈の高さ39.2cm)というのは、このような葬送儀礼が取り入れられた初期の姿を示しているのでしょう。
さて、これまで琵琶湖文化館の収蔵品をご覧になって来られた方は、このような考古資料が文化館の収蔵品であることを、少し不思議に思われるかも知れません。大通寺古墳群は昭和43年(1968)に、宅地化に先立って発掘調査が行われました。1960年代からの高度経済成長期は、埋蔵文化財にとっても大量発掘時代の始まったころで、まだ県や市町村に埋蔵文化財センターなどの専門機関が整備されていなかった時代です。そのため、当時、滋賀県内で唯一の公立博物館であった琵琶湖文化館が、発掘調査で出土した考古資料も保管していたのです。その後、県や各市町に埋蔵文化財センターや博物館・資料館ができ、出土した考古資料の整理や保管の体制が次第に整っていきますが、文化館はそういった施設のさきがけでもあったのです。
これらの土器を目の前にした時、大津の古墳時代の人々の生活に思いを馳せるだけでなく、滋賀県における埋蔵文化財発掘調査の黎明期に、琵琶湖文化館が果たしていた役割を感じ取っていただければ幸いです。