琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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近江の文化財

 古琵琶湖層群の化石   鮮新世~更新世 (旧:本館蔵)滋賀県立琵琶湖博物館へ移管
 琵琶湖文化館の収蔵品には、仏像や絵画など人間文化の産物だけでなく、鉱物標本や動植物の化石など、いわゆる地質学の分野に属する資料もありました。これらは、令和元年(2019)12月に滋賀県立琵琶湖博物館へ移管されています。今回はその中から、琵琶湖の周辺で出土した動物化石を、特別にご紹介します。

 琵琶湖の周りから三重県伊賀市付近の丘陵にまで、南北約50kmにわたって、古琵琶湖層群と呼ばれる地層が広がっています。この地層は、今から約400万年前~43万年前までの間に、今の琵琶湖の元となった湖や湿地、川(これらを「古琵琶湖」と呼んでいます)へと流れ込んだ土砂が堆積したものです。①は、ムカシフクレドブガイという絶滅した貝の化石です。殻長13cmと大型のこの化石のドブガイは、現生するドブガイより殻の膨らみがずいぶんと大きくなっています。殻の表面の深い襞(ひだ)も特徴的で、これは湖底の泥の中に潜る時に役に立ったと考えられます。採集地ははっきりしませんが、この貝化石が見つかるのは甲賀市を中心に広がる「ズニン」と呼ばれる青灰色の古琵琶湖層群の粘土層に限られます。このような貝化石は、江戸時代にはすでに知られていたようで、石の長者・木内石亭が著した『雲根志』に「(甲賀地域に多く産する)赤貝」とあるのも、ムカシフクレドブガイのことのようです。

 ②は、昭和23年に大津市和邇中射矢坪での開墾の際に発掘されたゾウ(種属不明)の右上腕骨化石で、古生物学の世界では「和邇上腕骨標本」と呼ばれています。同じ堅田丘陵ではゾウの化石がいくつも見つかっています。文化元年(1804)に伊香立で発見され「竜骨」と呼ばれたのはトウヨウゾウの顎の化石です。昭和24年(1949)頃、大津市(旧志賀町)小野で見つかったゾウの大臼歯は、シガゾウ(ムカシマンモス)の基準となる標本です。③も、同じく大津市和邇中射矢坪で採集された、二枚貝(カラスガイの一種)の化石で、湖底の泥底に生息していたものです。①~③のいずれもが、淡水やその周りに生息する動物の化石であることから、古琵琶湖層の広がる場所が湖や湿地であったことがわかります。

 古琵琶湖層群は8つの地層から成りますが、それぞれの地層の広がり、つまり湖や湿地であった場所を追いかけていくと、古琵琶湖は、約400万年前に三重県伊賀市のあたりに出来た小さな湖(大山田湖)が、その後大きさや形を変えながら甲賀から蒲生へ、さらに堅田方面へと移動し(堅田湖)、43万年ほど前に、ようやく今の北湖の位置まで広がる大きな湖になったことがわかってきました。気の遠くなるほど長い期間には、湖を取り巻く周辺の地形や環境だけでなく、地球規模の気候変動もあり、それに伴って生息する生物の種類も移り変わってきました。人間が琵琶湖のまわりにやって来るよりも遙か昔の琵琶湖の生い立ちを物語るのが、古琵琶湖層群とそこに含まれる化石なのです。

 古琵琶湖層群は過去の様子を語るだけではなく、私たち人間の生活とも密接な繋がりがあります。例えば、滋賀県を代表する伝統工芸品の一つである信楽焼は、鎌倉時代以来、六古窯の一つとして、茶道具から日常雑器までさまざまなものを製作してきました。このやきものの温かみのある赤みを帯びた独特の色調と肌質は、実は古琵琶湖層群の最も古い地層から採れる粘土が生み出すものなのです。このように古琵琶湖層群は、琵琶湖周辺の人間の特色ある文化を生み出す基盤にもなってきました。