明治24年(1891)5月11日、滋賀県大津町下小唐崎(現在の大津市)で日本中を驚かせる大事件が起きました。それが大津事件(湖南事件)です。シベリア鉄道起工式に出席する途中で日本を訪れたロシアの皇太子ニコライを、警護にあたっていた巡査の津田三蔵が腰に下げていたサーベルで突然斬りつけた事件です。その後の裁判では、外交問題に発展する事を恐れた内閣が死刑を求めたのに対して、法律に基づいて普通殺傷罪の未遂犯を適用しようとする司法側との対立があったことは、あまりにも有名です。
文化館所蔵の「大津事件関係資料」の中には、この事件の凶器であるサーベルやニコライの血をぬぐったハンカチ、ニコライが腰を掛けた床几(しょうぎ)や座布団のほか、津田の取り調べ調書などがある。殊にハンカチに付着した血痕は茶色く変色してはいるものの、明治24年の事件当時の様子を生々しく伝えています。
しかし意外なことに、この資料群の約8割が事件後の明治31年以降のものです。それらには、負傷したニコライを介抱した呉服屋永井家の買収をめぐって、日本政府とロシアとの間で水面下での駆け引きが行われたことが記されており、近代政治史を物語る貴重な資料となっています。
文化館所蔵の「大津事件関係資料」の中には、この事件の凶器であるサーベルやニコライの血をぬぐったハンカチ、ニコライが腰を掛けた床几(しょうぎ)や座布団のほか、津田の取り調べ調書などがある。殊にハンカチに付着した血痕は茶色く変色してはいるものの、明治24年の事件当時の様子を生々しく伝えています。
しかし意外なことに、この資料群の約8割が事件後の明治31年以降のものです。それらには、負傷したニコライを介抱した呉服屋永井家の買収をめぐって、日本政府とロシアとの間で水面下での駆け引きが行われたことが記されており、近代政治史を物語る貴重な資料となっています。