平成28年10月1日現在、全国には美術工芸分野だけで重要文化財11,532件(うち国宝878件)があり、このうち滋賀県では重要文化財667件(うち国宝33件)が指定され、全国第4位の文化財保有県となっています。こうした指定文化財をはじめとする多くの文化財は、長い年月にわたり滋賀県の人々によって守り伝えられてきました。
戦後の復興期、一時的に県内の文化財が県外に流出する危険性がたかまったことがありました。これを懸念した滋賀県は、昭和23年(1948)、全国に先駆けて滋賀県立産業文化館を設置し、文化財の公開と保護に努めました。この産業文化館を前身として、昭和36年3月20日に開館したのが滋賀県立琵琶湖文化館です。
【滋賀県立産業文化館】
昭和23年11月3日、滋賀県における「産業文化の殿堂たらしめん」として、服部岩吉初代民選知事のもと滋賀県立産業文化館が開館しました。これは県庁隣の武徳殿を改築したものであり、ここで社寺や個人が所有する文化財と、県内生産者から出品された繊維製品・木竹紙製品・金属製品などが展示されました。
産業文化館で開催された最初の特別展覧会は昭和24年(1949)4月17日~5月8日を会期とした芦浦観音寺什宝展であり、その後も特別展覧会を頻繁に開催するなどし、充実したその活動ぶりは内外に高く評価されました。
しかし、昭和30年(1955)12月21日に県議会において建物を武徳殿に戻すことが決まると、惜別報謝式を行い直ちに滋賀会館3階ロビーへの移転が余儀なくされます。移転作業は昼夜を問わず行われ、12月31日に転入を完了し、翌元旦より「松竹梅展」が開催されました。
その後、陳列施設も狭小化、建物の3階という不便さもあった中で、県民から文化施設の設置を要望する声が高まり、昭和34年(1959)に総合文化館計画がたちあがり、琵琶湖文化館への道が開かれることとなるのです。
産業文化館として、開館から昭和36年の12年余りの間に開催された特別展は、実に66回にのぼります。琵琶湖文化館には、産業文化館時代のポスターや文書類なども少ないながら残されており、当時を知る貴重な資料となっています。
なお、産業文化館の正面玄関に掲げられていた額「開物成務」は、『易経』に見られる言葉で、人知を開発し、事業を成し遂げることを意味します。秋月種樹の書であり、現在も琵琶湖文化館の2階ロビーに飾られているこの額は、琵琶湖文化館の大切な館蔵品となっています。
※白黒写真は「滋賀県立産業文化館報告書」から転用しています。