木造弥勒菩薩坐像 1躯 | 南北朝時代 |
(みろくぼさつざぞう) 草津市 観音寺所蔵 | 像高 26.2㎝ |
草津市芦浦町に所在する観音寺に伝わる弥勒菩薩像です。
髻(もとどり)を結い、宝冠を被り、両肩に衣をまとって座る姿です。両肩にかかる衣の形、うねりの強い膝部分の衣文、やや角ばった各部の輪郭などは、南北朝時代の院派仏師の特徴を示しています。またこのお像の体部は、内刳りを施したうえで前後に木材をつなぎ合わせていますが、その内刳りを一部彫り残して前後の結束を強くする仕組みや、刳り上げられた前面材を彫り残して一部が地面に接するなどの構造を用いています。これも、院派仏師の作に非常に多く見受けられる特徴です。 院派とは、有名な宇治の平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来像を造った仏師定朝の系譜を引く仏師界の名門です。南北朝時代に入っても、足利尊氏の依頼を多く受けるなど大きな勢力を誇っていました。院派仏師の作は室町時代に近づくにしたがって、体の輪郭はより角ばり、衣もうねりが大きく重々しい印象になりますが、観音寺のお像はその特徴が顕著ではなく、南北朝時代も早い時期の作と考えられます。 宝冠を被った宝冠釈迦如来と印を組んで座る弥勒菩薩はほとんど同じ姿をしていますが、足の組み方が左右逆である点、弥勒菩薩は印を組んだ手の上に小さな塔を載せる点などが異なります。本像は現在何も持ってはいませんが、掌には宝塔を載せた跡があるため間違いなく弥勒菩薩として造られたものであることがわかります。 坐像で宝塔を持つ弥勒菩薩像は例が少なく、本像は貴重な存在です。しかも現存例の多くは真言宗の影響の下に造られたと考えられますが、天台宗の古刹である観音寺に伝わったということも重要です。ちなみに、平安時代前期に唐に渡った天台僧の円仁は多くの経典を日本に持ち帰りましたが、その中には本像のような姿の弥勒菩薩を説いた経典もありました。 観音寺は琵琶湖の水運に大きな影響力をもち、戦国時代以降は特に栄えた名刹ですが、それ以前の歴史はよくわかっていません。ですが、今に伝わる数々の名宝は古文書に載らない観音寺の深い歴史を物語ってくれています。 >>>木造阿弥陀如来立像(草津市 観音寺所蔵) |
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Seating Maitreya Bodhisattva Wood Height 26.2cm Kannon-Ji (Kusatsu CIty) |
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※「弥勒菩薩坐像」は、令和4年(2022)2月5日から4月3日まで、県立安土城考古博物館で開催された、地域連携企画展「伝教大師最澄と天台宗のあゆみ」に出展されました。 |