木造如来形立像 1躯 | 重要文化財 平安時代 |
(もくぞうくうにょらいぎょうりゅうぞう) 大津市 若王寺所蔵 | 像高 84.0cm |
本像は、大津市大石に所在する若王寺(にゃくおうじ)に伝わった像です。厚みのある体つきや肉髻(にっけい)と地髪(じはつ)の境が不明瞭な頭部、三日月形の細い目などから、10世紀に造立されたと考えられます。最大の特徴は降ろした右手で衣の端を握る点で、このような特徴をもつ像は他に聖衆来迎寺(大津市)と横蔵寺(岐阜県)の二体の薬師如来像しかありません。本像は寺伝では弥勒菩薩と呼ばれていましたが、左手の手首から先が後世のものに変わっているため、当初は聖衆来迎寺像、横蔵寺像と同様薬壺をもった薬師如来像であった可能性もあります。横蔵寺像には伝教大師最澄が入唐中の師であった道邃(どうずい)から譲られた像であるという内容の銘文があり、本像を含めたこのような特徴は最澄ゆかりの像の形式として天台宗で重視された可能性があります。 一方で、若王寺は近隣の式内社・佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)の神宮寺であったとされます。佐久奈度神社は、瀬田川を象徴する神・瀬織津姫(せおりつひめ)を祭神とします。本像は後頭部の細かい彫刻を省略し、粗いノミ跡を残しますが、このような特殊な表現は本像が本地仏(ほんじぶつ・神の本体・正体)であるためとする説もあります。 また、若王寺が所在する大石の地は南都(奈良)とゆかりが深く、佐久奈度神社に伝来する大般若経には奈良・興福寺にかかわる人物の名が記されています。本像と同じ特徴をもつ聖衆来迎寺像は奈良時代前期の像なので、奈良に都があった当時からこのような姿の像があったことは間違いありません。奈良時代以前に造られた像の特殊な姿が近江に伝わり、後に最澄伝承をまとったり、通常の仏とは異なる本地仏にふさわしい姿として認識されたと想像することもできます。 このように本像は、最澄伝承、神仏習合、南都仏教など様々な要素を含んだ重要な像と言えます。 ( 和澄 浩介 ) |
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