琵琶湖文化館には、平成26年度まで「友の会」という心強い活動団体がありました。歴史や美術に関心のある110名ほどの方々が見学会や講演会、講座などを通じてお互いに研鑚し合い、また館の活動を支援して下さっていました。平成19年(2007)には「伝統工芸の技を訪ねて-湖西路を中心に-」という見学会を開催し、高島市内の伝統工芸のうち、和ろうそく大與・攀桂堂・安曇川扇骨・高島硯を訪ねています。
高島硯は桃山時代、織田信長によって比叡山の焼き討ちから逃れた能登氏の末裔が始めたといいます。その材料は虎斑石(こはんせき)といい、石の表面に虎の模様のような斑文が現れるのが特徴です。見学会でうかがった福井永昌堂は200年続く老舗ですが、ここに蓄えておられる虎斑石の原石がなくなってしまえば、高島硯が絶えるという状態に追い込まれていました。硯を制作するにあたって最も大切なのは、原石の形です。その形を見て、角を落としたり、表面を削ったりして形を整えます。
文化館所蔵の高島硯は昭和25年(1950)5月に館蔵品となった。大きさは縦85cm、横28cm、厚さ8cmの巨大な硯で、大人2人で持たなければならないほどの重量があります。
高島硯に限らず、一般的に伝統工芸の分野は材料不足、道具不足、後継者不足から途絶えそうになっているものもあります。こうした伝統工芸の存在を広く知らしめ、その製品を文化財として伝えていくこと、これも博物館の仕事なのです。
高島硯は桃山時代、織田信長によって比叡山の焼き討ちから逃れた能登氏の末裔が始めたといいます。その材料は虎斑石(こはんせき)といい、石の表面に虎の模様のような斑文が現れるのが特徴です。見学会でうかがった福井永昌堂は200年続く老舗ですが、ここに蓄えておられる虎斑石の原石がなくなってしまえば、高島硯が絶えるという状態に追い込まれていました。硯を制作するにあたって最も大切なのは、原石の形です。その形を見て、角を落としたり、表面を削ったりして形を整えます。
文化館所蔵の高島硯は昭和25年(1950)5月に館蔵品となった。大きさは縦85cm、横28cm、厚さ8cmの巨大な硯で、大人2人で持たなければならないほどの重量があります。
高島硯に限らず、一般的に伝統工芸の分野は材料不足、道具不足、後継者不足から途絶えそうになっているものもあります。こうした伝統工芸の存在を広く知らしめ、その製品を文化財として伝えていくこと、これも博物館の仕事なのです。
※「高島硯」は、令和3年(2021)10月22日から11月14日まで、地域連携企画展「渋沢栄一と中江藤樹・熊沢蕃山 ー高島市ゆかりの文化財とともにー」に出展されました。