当館の館蔵品の中には、近代絵画の作品で、このように元気に泳ぐ魚がいっぱい、楽し気でにぎやかな「湖魚図」という作品があります。作者は、吉田虎之助という人物で、明治元年(1868)現在の草津市志那町に生まれ、村長や国会議員も務めた政治家です。何故そのような人物がこの琵琶湖の魚の絵を描いたのか、不思議ではありませんか?僕は不思議に思いました。ということで、ちょこっと調べてみることに致しましょう。
吉田虎之助氏は、明治45年(1912)の第11回衆議院議員総選挙に当選した地元の名士であるとともに、実は、琵琶湖で淡水真珠をつくることに尽力した人物でもあります。琵琶湖における淡水真珠の養殖は明治43年から始まりましたが成功せず、三重県鳥羽の御木本真珠の元技師であった藤田昌世氏らと、当時近江水産組合長を務めていた吉田氏が協力し、大正14年から新たに草津市志那地先の平湖で実験を開始します。吉田氏は有志とともに、「淡水真珠養殖研究会」を設立し事業化を進め、昭和5年(1930)にイケチョウガイで商品価値のある真珠養殖に成功すると、製品が出荷されるようになりました。昭和10年には吉田氏ら研究会のメンバーを中心に「淡水真珠養殖株式会社(翌年琵琶湖真珠株式会社と改称)」が設立されています。その後、日中戦争や第二次世界大戦が勃発したため、昭和17年(1942)に琵琶湖真珠株式会社は解散してしまいますが、その後も「琵琶湖産の淡水真珠を」という夢を抱いた人たちの手により、県内各地で幾度となく淡水真珠の養殖が行われました。
もうお気付きですね?吉田虎之助という人物は、滋賀県において琵琶湖という偉大な資源に目を向け、地域振興を試みた人なのです。そのような人物ですから、琵琶湖に慣れ親しみ、琵琶湖に住む生き物たちにも人一倍関心を持っておられたに違いありません。それをこの掛け軸が、物語っているように思えてきませんか?
「湖魚図」は、昭和38年(1963)、水族館を併設した県内唯一の博物館であった当館に、寄贈されたものです。もう一度作品をよく見てみると、魚一つ一つには名前が記されています。
地元滋賀で呼ばれている魚の名称、細部にわたるリアルな描写、これはまるで琵琶湖の『お魚図鑑』のようです(拡大画像はコチラ)。
決して画家として有名な方の作品ではないですが、一つの作品から広がる世界、滋賀県の重要な歴史の一端を、垣間見た気がします。いやぁ~、大人になっても『調べる』って面白い!
ということで、少年少女、若人よ! Be Ambitious(大志を抱け)!子どもの頃に抱いた興味が、自分の人生にどう影響するかなんて、誰にもわかりません。もしかして一大事業を成し遂げるキッカケが、この夏休みにあるかもしれないのです!是非、いい出会いを、そしていい経験を~♪
筆:あきつ