先日、ニュースで流れていたのですが、徳島県美波町の「日和佐うみがめ博物館カレッタ」さんで、地元の漁師さんが見つけたという「白いナマコ」が展示され、博物館さんが写真付きでツイッターに投稿されたところ、10日間で100万を越える閲覧があるほど大人気となっているそうです。「しろみちゃん」と名付けられたこの「白いナマコ」。見たところ。。。水槽の中でゆっくりと、ヌメーっという感じで動く姿は、巨大な蚕という感じで、ちょっと「キモカワ」ですか?(笑)ナマコが白いのは、10万匹に1匹ぐらいの割合でおこる遺伝子の突然変異で、体の色素が抜けてしまうアルビノという現象によるものだということ。とっても珍しいので、これを見た人は「縁起がいい」「幸運が訪れる」と言われているそうです。(だから大人気なんですね!) そういえば以前、琵琶湖でも「黄色のナマズ」が捕れたのがニュースになりました。あれもアルビノだと聞きましたが。。。その話は水族部門のある他館さんにお任せすることとして。。。今日お伝えするのは、琵琶湖文化館から”青いナマコ”のニュースです。
こちらが文化館の「青いナマコ」です(→)。「あれっ?この前のブログで見たよ!」という方、よく覚えていらっしゃいましたね。そうなんですよ。同じ「信楽火鉢」なんですが、前回の小さなものとはちがって、こちらは直径が50cmほどあり、まぁ巨大とは言えませんが、重たくて、簡単には動かせない大きさです。
これがなぜ「ナマコ」なのかと言いますと。。。左のアップの写真をよ~く見てくださいね。表面にかけられた釉薬。キラキラとした艶のある、とっても美しい青藍色をしていますね。この釉薬が、海の生き物である海鼠(なまこ)の色に似ていることから「海鼠釉」と名付けられているんです。信楽では、中国のものに倣って、名工の谷井直方氏と上田清兵衛氏の手で苦心の末に作り出され、明治30(1897)年頃にようやく完成しました。
それから、豆知識としてもう一つ、前回紹介した火鉢もそうですが、この火鉢の底に台として陶製の盆が付いている(くっついている)ことも特徴なんです。火鉢は部屋の畳の上で使うので、熱で畳が焦げないように、古くは底に木の板を打ち付けて台にしていたのですが、明治33年に陶製の盆が考え出されて台付火鉢となり、大正末期頃まで焼かれました。昭和になると台の付かない火鉢になるので、この火鉢は明治の終わりから大正時代に作られたものだということがわかります。
信楽で「海鼠釉」の火鉢は、今でも少量ながら生産されています。けれども、明治~大正時代に作られ、実際に使用されたこの型は、今や、「青い」にも拘らずレッドリストに載りそうな「絶滅危惧種」となっています(涙)。。。だから、今このブログで、文化館の「青いナマコ(火鉢)」(「あおみちゃん」と呼んでいいですか?)を見ることのできたあなたは、本当にラッキー!今日はきっとイイコトありますよ!!
ご興味のある方はコチラもどうぞ。昭和10年代の旧滋賀県庁舎内の写真ですが、机の側に火鉢が置かれています。これは「My火鉢」?!ある意味斬新かも?!!火鉢つながりで、なかなかに面白い写真を見せていただきました(笑)。



先ずはこちら。当館に保管されている建設の設計図面に載っていた大トンボです。・・・なんだか実物とは随分と印象が異なりますね?!屋上にトンボ。。。この奇想天外なモニュメントの実現にどれほど苦労されたことか、一大事業を任された設計技師さんのご苦労が、この図面からもうかがい知れます。。。
目玉を青色に光らせながらクルクル回る、黄金に輝くモニュメント・・・なんと派手なトンボであったことか(笑)。それは目立つ!!残念ながら、当館にカラー写真で残っていないのがとても口惜しいところ。一度見てみたかったー!!(もし「家のアルバムに写真があるよ」という方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡ください!)
屋上からさらに8m余り上、両羽根をひろげた長さが3mというこの“大トンボ”は、色が一色なので誤解されることもありますが、実は秋によく見かける「あきあかね(赤とんぼ)」なんですよ。昭和36年(1961)当館の創建にあたって、あえてトンボをシンボルとした理由はいくつかあります。
また湖面をスイスイと泳ぐように飛ぶトンボの姿に、健康、明朗といったイメージを抱き、トンボの眼のようにクルクルと四方を見渡し、広い視野をもって事にあたるという意味合いも含んでいます。
そんな縁起の良さも相まって(自分で言っちゃった!!)、皆さんの注目を集めるトンボとして、活動範囲を広げていきたいと思います。皆さま、文化館のトンボを、これからもどうぞよろしくお願い致しま~す。
さて、湖畔にたたずむ我がお城:琵琶湖文化館ですが、その特徴的な外観から、撮影意欲を刺激された方たちが、写真を撮っておられる姿をよく見かけます。観光で来られたであろう女性のグループやバックパックを背負った外国の人々、滋賀に出張中と思しきビジネスマンなど。時には(度々見かける)通勤途中のサラリーマンの方が、朝の陽光をバックに撮影ポイントを工夫して撮っておられる姿も。。わかります・・撮りたくなる気持ちワカリマス!
新年あけましておめでとうございます!年末年始はいかがでしたか?ゆっくりと過ごされましたでしょうか?年末の大掃除や新年のごあいさつに大忙しだった方も多いことでしょう。そのような中、ホッとひと息、当館のホームページをご覧いただいている皆さま、誠に有り難うございます。昨年12月には1,660件のアクセスをいただきました。年が明けて、本日が仕事始めという職場も多いと思います。今年も引き続き当館の運営・事業をご支援くださいますよう、どうぞよろしくお願い致します。


その光秀さん、生年なども諸説あり出生については謎が多いようですが、美濃出身が定説とされるなか、実はなんと「近江出身であったのでは?」との説が急浮上・・・!皆さんコレ、とっても気になりません?!気になった方!朗報です!
また、多賀町佐目で、今も語り継がれる光秀伝説についての地元研究者からの発表もあるということなので、これは楽しみですね。皆さま是非ご参加ください。
滋賀では、猪を神の使いとする、日野町にある馬見岡綿向神社さん(覚えてらっしゃいますか?今年の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」で取り上げられた、新たに県の文化財に指定された巨大な絵馬が掲げられている神社さんですよ!)で、巨大な“干支”の絵馬が飾られたことがニュースになったり、最近では少なくなりましたが、お店で来年の“干支”のカレンダーをいただいたり…そうそう、“干支”の絵柄が入った年賀状の用意もしなければなりません!
先ずはコチラ。「びわ湖文化舘」の焼印が押された大工道具です。なんと特注?!簡単に手に入る市販のモノではないの?!というか、何故文化館にナタとカンナが??!!・・・えぇ~っと、謎は尽きませんが想像しますと、以前は文化館の正面に広場があり、たくさんの木が植えてあったので、時にはナタも必要だったかもしれませんし、中池ではアヒルなども飼っていたので、鳥小屋などは自分たちで作って自分たちで補修をしていたのかもしれません。あくまで想像ですが、館内に残されている様々な「手仕事」から推察すると、手の器用な職員さん達が自分たちで何とかしようと努力をしていたことは、容易にうかがい知れます。そのためのカンナとナタだったのでしょう。ちなみにスコップにもしっかりと焼印が押してありましたよ。
左隅に写っているのは電気の分電盤ですが、そこから壁や天井を伝って各部屋へ伸ばされる配管の湾曲!これ、実は固い鉄管です。業者さん曰く「真っすぐな鉄管を角に合わせて、その場で鉄管を熱しながら曲げながら敷設されてますね。恐ろしい技術です。今、こんなこと出来る人(する人)居ないです」とのこと。うぅ~ん、褒めていただいたのか何なのか(笑)。そう言えば今は塩ビのケーブルモールを使うことがほとんど・・・なのかな?天井を見上げると、このテの「曲げ鉄管」は、文化館ではよく見かけるので当たり前だと思ってました。ご指摘いただいて気付きましたが、どうもすごい職人技らしいです。
また、そのことを耳にした縄文時代生まれの長老(?)石山貝塚から出土した猪の牙さまも、「平成最後の亥年ならば、わしもキバって参加せねばならぬのう~」とおっしゃって、いそいそと摩利支天さまについて行かれましたよ!漏れ聞くところでは、お出かけ前に「芸能人は歯が命」とつぶやきながら、歯磨き粉をキュッと握りしめていたとかいないとか。。。まっ、ことの真偽はともかくとして、久々の晴れ舞台ですから、”半端ない”ご活躍を期待してま~す(笑)。

また、この掲示板を見て気になった方が、地図を片手に同じコースを歩き気軽に現地探訪を楽しんでもらえるように、ポイント毎の写真と簡単な地図を載せた

また、会場となる日吉大社さんは、日本遺産の認定などをきっかけに、積極的に文化財を活用して広く発信しようとされており、全国的な注目を集めています。そんな日吉大社さんで観光を視野に入れての文化財活用に取り組んでおられる、矢頭英征氏からお話しをうかがい、座学の後、境内の国宝建築等の文化財を見学しながら、活用の工夫について学ぶことが出来る内容となっています。
今回のテーマは「文化財」。なるほどこれは見ねばなるまい・・・と、テレビの前に陣取りチャンネルを合わせてみると、滋賀の文化財講座でもお馴染みの講師:県教委文化財保護課の井上優氏がスタジオゲストでお話されているではありませんか!番組内容も、滋賀県に住む私たちにとって、とても身近で面白い内容だったので、少し紹介しておきましょう。
そう!あれは2014年に発行された「1冊でわかる滋賀の仏像 文化財鑑賞ハンドブック」(発行:サンライズ出版)です!このハンドブックは、県教委文化財保護課さんが企画・編集をされていますが、発刊に際しては当館も協力させていただいており、非常に思い入れのある1冊です。何より分かりやすい!仏像の“いろは”はもちろん、県内の様々な仏像が多数掲載されていますので、是非お手元に置いていただければと思います。
「文化館の写真もあったよ」との情報を得て、
これは見逃してなるまい・・と会場へお邪魔させていただきました。
展示室は、昭和レトロを感じさせる白黒の写真パネルがいっぱい。琵琶湖岸の埋め立てや山の手の開発、公共施設などの整備がどんどん進められていった時代。写真は、勢いというか、エネルギー溢れる当時の様子を伝えていました。写っている人々の顔もとてもハツラツとしています。そして・・・ありました文化館!あっちにもこっちにも!琵琶湖文化館のコーナーも作っていただいてましたが、街を見下ろす遠景写真の中にも、埋め立てが進む湖岸の風景にも、
チラッとチョコッと文化館が写っているのですよ~ついつい身内贔屓な見方をしてしまいましたがね(笑)。そうなんですねぇ、文化館が建った時代ってこんなにも勢いがある時代だったのですね。でなければ、琵琶湖に浮かぶお城を作るという発想も出てこなかったでしょう。ましてやそれを実現するなんて!
いや貴重な写真を見せていただきました。是非会場でこの写真を見付けて下さい。
皆さんは、彫刻(仏像や神像など)をじっくりとご覧になったこと、ありますか?当館のウェブサイトをチェックしていただいている皆さんですので、「モチロン!」と即答?!元気なお返事が返ってくるものと信じておりますが(笑)、改めてその楽しみ方を伝授させていただきましょう。










また、休館となってからは、平成26年に安土城考古博物館において「琵琶湖文化館秘蔵品で味わう 茶を魅る」展において、松田氏の作品を展示公開しました。
松田氏は、昭和39年(1964)に滋賀県無形文化財「揉み紙」の技術保持者として認定された方で、伝統的な揉み紙の技法を受け継いだ最後の技術者とも言われています。
(タイトルから続きで)大丈夫!古文書(こもんじょ)を楽しめます!!
殊に織田信長の花押:麒麟(きりん)の「麟」の字をかたどったデザインは有名です。花押を見れば「誰から」の手紙か一目でわかります。これが文章の最初にバーンと書かれていると「ワシじゃ、よう読めよ」と少し上から目線となり(?)、差出年月日の下に官職と花押が書かれていれば、丁寧に礼が尽くされたお手紙となります。
他にも、充所(あてどころ:宛先)は文章の一番最後に書きますが、年月日より下であれば薄礼、上に書かれていれば厚礼、中には充所すら書かれていない(意図して書いていない!)場合もあるようです。・・・コレって少し書く位置をズラすだけで、恐ろしく高圧的で失礼極まりない手紙が出来上がってしまうのでは?!・・・そこには身分や格の違い、上下関係を明確に伝える意図があったようです。恐るべし心理戦。。。
世に広く知られているということです。しかし、その先生のご著書の中で、なんと「”松下説は間違っている”とまで言われた」と口惜し気に嘆いておられた講師先生(!!)。その後の発掘調査や信長研究の成果を論戦のための鎧兜として纏っての今回の反撃は、これからの季節、インフルエンザのように世に広がっていくのでしょうか(笑)?城郭研究の世界はまだまだ戦国時代の様相を呈しているようです。この先、誰が「天下人」となり、「天下静謐(せいひつ)」がどのようにして得られるのか、皆で注目してきたいですね。




さて、10月ともなると昼間でも少しひんやりとして上着が必要な季節・・・皆さま、食欲の方、アップしてきませんか?体重の方も気になりますが。。。美味しいものをその旬の時期に味わう口福はしっかりと噛みしめておきたいものです!秋に美味しいものは、世の中に食べきれないほどありますが、特に滋賀ならではのものとして、今日は「アメノイオご飯」をご紹介いたしましょう!
これまた絶品なんです!この「アメノイオご飯」(レシピは



毒性があり、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、などと呼ばれたり、「家に持ち帰ると火事になる」という迷信が今も残っています。これらのイメージから、縁起を担ぐ日本人の好みには合わなかったのかもしれません。例えどんなパトロンでも「御家が火事になる絵を描いてくれ」というオーダーはしなかったでしょうし、有名な絵師の作品でも売れなかったことでしょうね。