琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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近江の文化財

 田中家資料(田中知邦宛文書など)   一括     近・現代    本館蔵

栗東市辻の田中家から寄贈された古文書や典籍類150点。明治期の国学者・神道家・地方官として活躍した田中知邦(たなか ともくに:1847~1919)に宛てられた書簡や、彼の著述の原稿、郡長を勤めた甲賀郡や敦賀郡の資料などからなります。

知邦は弘化4年(1847)、近江国栗太郡辻村で生まれました。生家は江戸深川に出店して「釜七」の屋号で知られる、辻鋳物師(いもじ)・田中七右衛門家でした。
親族に近江を代表する国学者の西川吉輔(にしかわ きちすけ:1816~1880)がおり、西川の強い影響のもと平田学派の国学を学びました。知邦は新政府に仕官していた西川に随行し、明治2年(1869)に東京へ移住し神祇官(じんぎかん)に出仕します。宣教少主典(せんきょうしょうさかん)に任じられ西川とともに「大教宣布(たいきょうせんぷ)運動」(神道を国教として、祭政一致の国家をつくる運動)に従事するとともに、さまざまな建白書を政府へ提出しています。
明治8年(1875)に日吉大社の少宮司に任命されて滋賀県へ戻り、司法省勤務を経て地方官に転じて、甲賀郡長、敦賀郡長などを歴任します。明治34年(1901)島根県の官員を最後に官を辞しました。以後は「敬神愛国」を力説して全国各地をめぐり、大正8年(1919)東京で没しました。

写真は田中家資料の一部である、田中知邦宛の西川吉輔書簡26通です。西川から田中知邦へのさまざまな書簡が保管されています。同僚として勤務していた時期に、病気欠勤の届出書を託した書簡や、他行による不在を知らせるメモ書きなど、こまごまとした内容のものが多いです。西川自身の名乗りは「吉介」の時期のものと「吉輔」の時期のものが混在し、知邦を示す宛名も「修一郎」「小主典」「主典」などさまざまです。両人の間に長い年月に亘って親密な交際のあったことがわかる、興味深い史料です。
他にも細字で几帳面に記録された田中知邦自筆の日記や、主要な著作のひとつである『本教大意(ほんきょうたいい)』の草稿本、神道教義にかかる意見書を添えて三条実美(さんじょう さねとみ)や江藤新平(えとう しんぺい)に差し出した書簡の控えなど明治期の神道を知るうえで貴重な資料が揃っています。

( 井上 優 ) 


※「田中家資料」のうち「職員録」は、令和3年(2021)10月22日から11月14日まで、地域連携企画展「渋沢栄一と中江藤樹・熊沢蕃山 ー高島市ゆかりの文化財とともにー」に出展されました。