平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から起算して満150年の年に当たります。故にこれに因んだ企画展や特別展を、他の博物館・美術館さんが開催されているので、皆さんもよく目にされていることと思います。
「明治」を一言でいえば「激動」の時代、大きく歴史が動いた時代でもあります。文化館的に、当館の数ある収蔵品の中から、明治にかかわる珠玉の逸品を紹介するならば・・・ここはやはり、トップバッターにこの資料を紹介せねばなりません。そう、「大津事件 関係資料」です!
「大津事件」は、1891年(明治24年)5月11日、訪日中のロシア皇太子ニコライが、遊覧先の大津の地で、警備にあたっていた巡査・津田三蔵にサーベルで切りつけられ負傷した事件です。この事件は、その後の裁判で「司法権の独立」を守ったことにより、三権分立の意識を広めたことなど、近代日本史において重要な事件とされています。事件の詳細は、様々な解説本や国立公文書館さんのサイトなどに掲載されていますので、是非参考になさって下さい。
当館が所蔵する「大津事件関係資料」の中には、サーベルやニコライの血をぬぐったハンカチ、ニコライが腰を掛けた床几(しょうぎ)や座布団のほか、津田の取り調べ調書などがあり、滋賀県の指定文化財となっています。ホームページのブログでも、2015年5月8日付け「事件です。」や、滋賀咲くブログ2007年12月7日付け「大津事件っっっ!」などで紹介をしていますが、今回は、『あきつブログ』ならではの切り口で、この大津事件に絡んで(?!)みたいと思います。
突然ですが、皆さん。。「銃砲刀剣類所持等取締法」というのをご存知ですか?銃や刀剣類は、原則として所持することは出来ませんが、銃砲刀剣類所持等取締法第14条により、美術品もしくは骨董品として価値のある火縄式古式銃砲等の古式銃砲及び刀剣類は、都道府県の公安委員会の許可(銃砲刀剣類登録証の交付)を受ければ所持することができるようになっています。博物館においては「展示物として公衆の観覧に供するため」(同法第4条)、所持することが許されています。
ということは?!・・・実は大津事件関連資料の中にも、この「登録証」の交付を受けているモノがあります!そう、凶器となった「サーベル」です。このサーベルは、日本刀を改良したものであり、立派な「刀剣」に当たります。故に博物館資料と言えども、きちんと登録証の交付を受け、法に則った手続きが行われている!のですよ~。
先日も、滋賀県から「銃砲刀剣類を保有する公立博物館等に係る調査」があり、保管・管理状況等について報告させていただきました。
明治の大事件を振り返りつつ、歴史の生き証人である博物館資料との関わりについて、あきつブログ的にちょこっとご紹介・・・してみました。
筆:あきつ

さて、私も久し振りに出勤して、はっと気が付きました!ほんの一ヶ月前には、桜舞い散る景色だったのに、あたりはすっかり初夏の装い。新緑の若葉に包まれています。そして、このみずみずしい新緑に取り囲まれた文化館の。。。あら?別館の、夢殿を思わせる八角形の屋根の頂きには、何かがありますね?何でしょう?ズームアップして見てみましょう(↓)。
これはよく蓮の花に間違えられるのですが、シャクナゲのツボミなんです。滋賀県の花でもあるシャクナゲの花は、ちょうど今、4月下旬~5月上旬が見頃で、今年も県内各地の名所からの開花情報が聞こえてきていますよね。そんな便りを聞くと、別館の屋根の上のツボミも、気のせいか、いつもより大きく膨らんでいるように見えてきます。。。
この改新作業、けっこう大変だったんですが。。。職員が皆、力を合わせて取り組んだ効果が、さっそくこの数字にも表れてきたと思うと、がんばった甲斐があった。。。かな?
滋賀各地の神社に古くから伝わる貴重な面も出品されている、というわけなのです(詳しくは「
積み重ねとは大事なことですね。とは言え、第○話の回数が増えると、実は見えないところで更新に手を入れなければならない箇所が増え、本編の文章を書くより、更新作業の方が手間がかかる・・・という困った状態になり、更新の度に職員から(クレームにも似た)悲鳴が上がるようになりました。。。それならば!と50話突破を記念して、思い切ってこの「リニューアル」を決行したというわけなのです。どうですか?みなさん、見やすくなりました?画像を配置したことにより、「あ、これも見てみようかな」という気になっていただけた・・・ならば、このリニューアルは大成功?!ということに!・・・職場内では評判も上々なのですがね(笑)。
休館となった平成20年度以降、当館のホームページは、常に「休館中」であることを意識し、展示公開の機会が減った収蔵品紹介の充実、文化財情報の発信などを行ってきました。時には利便性やデザイン性を改め、閲覧して下さるみなさんを飽きさせない工夫を行い、より魅力的なホームページ作りへと、手を加えてきた結果です。また、その都度、更新の苦労をしてきた歴代職員さん達の顔を思い浮かべると、ここは「踏ん張りどころ」で「頑張りどころ」でした。まだまだ改変の余地はありますが、今後も「見やすく分かりやすい情報」を提供できるように、みんなで頑張っていきたいと思います。
中国、東南アジア、南アジアを中心に生息していて、日本には中国から伝わったようです。異国からやってきた、羽を広げると美しくゴージャスな鳥に、当時の人もトリコになったのでしょうか?日本でも多くの画家が好んでクジャクの姿を描いています。当館の館蔵品の中にもクジャクを描いた作品があり
先日、当館における文化財の保存環境、特に温湿度についてのお話をこのブログで紹介させていただきました。
大きさは約8cmほど、画面はデジタル表示でアンテナのような物がついています。実はコレ、文化財の保存環境を維持する上で、非常に重要な役割を果たしています。
当館で今まで使っていたデータロガーは、旧式のパソコンでしかデータを取得することができず、現在使用しているパソコンとの互換性がとれなくなってきたため、新バージョンを導入することになりました。正常に作動するかどうか、新旧を並べて確認をしてみたところ、そこはさすがにおNew。感度は今までより更に向上しているようで、安心して見張りをお任せしていくことになりました。
(会期:残りわずか!)。
琵琶湖文化館は、本日(4/2)より新年度の開始です。今年は桜前線も、3月後半からの急激な気温の上昇で、足早に駆け抜けているようですね。予定を早めて、この土日にお花見に行かれた方も多いのではないでしょうか?文化館の建つ打出浜の今日の様子は?ほら、こんな感じ!満開の桜に囲まれて、心地よい新年度のスタートです。
そうそう、3月末には文化財講座「打出のコヅチ」プレ講座(5月17日開催)のチラシも出来上がりました。さっそく県内の図書館・博物館等へも発送させていただきましたので、お見かけになったら、ぜひお手に取ってご覧くださいませ。もちろん、ただいま受講のお申込み受付中です!



文化館は現在、本館と別館の3階部分が工事用の足場で覆われています。「何をしているの?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。実は屋根の軒先、外回廊の天井に開館当時からついている照明器具を撤去するための足場です。
ご用意いたしました。昭和36年開館当初に撮影されたこの写真。ほら!ね。本館・別館ともに、3階に煌々と照明が灯っているでしょう?!この頃文化館では、夜になると屋上のトンボと共にこの外回廊にも灯りがついていました。ライトアップされ、夜の景色に浮かび上がる文化館はさながら不夜城のようだったと言われています。

中世の庶民の暮らしを村人が書き残したこの菅浦文書は、まさしく私たちの「近江」を語る上で、欠くことのできない大変貴重な資料なのです。
もう一つ、こちらは近江八景図ではありませんが、文政5年(1822)に日吉大社の祝部(神職)生源寺業蕃が描いた「日吉祭礼図」のなかにある「唐崎の松」です。唐崎の松には、大津宮遷都の翌年668年に、もと奈良にいた日吉大社の神がここに降り立ったという伝承があり、日吉大社とは深いゆかりのあるもの。この絵でも松がひときわ大きく立派に描かれているように見えるのは。。。気のせいですか?
昨日(4日)、世界記憶遺産『 朝鮮通信使に関する記録 』登録記念展が開催されている安土城考古博物館さんでは、関連講座「朝鮮通信使と近江」が行われ、85名の皆さまにご参加いただきました。朝鮮人街道の名が残り、近江八幡市の資料が登録されたこともあって、地元近隣の方々も多くご参加いただき、このような展覧会や講座を共催という立場ながら協力することが出来て、本当に良かったなと思います。また、講座終了後には、ギャラリートークも行われ、展示作品を見ながら1点1点について、詳しい解説がありました。
この書は、会場で登録認定作品の近江八幡市指定文化財「李邦彦(イ・バンオン)詩書」と並んで展示されていますが、両方ともよく似た字体で、全体の雰囲気が同じように感じられます。「きっとこの時代のアジア地域でお手本となる書がこのような感じで、国際的教養人が理想とした書風だったのでしょうね」というまとめを経て、ギャラリートークは無事終了いたしました。皆さんも会場で是非見比べてみてくださいね。(登録記念展は3月18日(日)までの開催です。)
読み句を考えられた作者の中に、元:琵琶湖文化館友の会会員の方のお名前を!さすが文化財に心を寄せるウチの会員さんです(でした)!なんだかすごく嬉しいなぁ~!!
展覧会の開催に併せて、当館のホームページの特設
川風が心地よく、思わず立ち止まって解説をじっくり読みたくなること請け合いです。朝鮮人街道には、ゆかりの道標(石碑)も多く残っているようですから、江戸時代の通信使たちに思いを馳せて、歴史散策を楽しまれるのもオススメです。
ほらこの通り、咲いているでしょう?!この黄色い花は、福寿草と言って、別名を「元日草」「朔日草」とも言うそうです。その名前には「新春を祝う」という意味もあるらしく、早春に縁のある植物なのです。福寿草が描かれることで、まもなく来る春の訪れを感じる事ができます。ちなみに、福寿草の見ごろを調べてみると、なんと2月~3月となっています。「今頃、新春を祝う花!?」と思ってしまいますが、ココは暦み上、旧暦と新暦とで感じ方がズレるのですね。本日、2月19日は旧暦では1月4日。この作品を愛でるのにピッタリの季節なのです。
例年より仕上がりが遅れてしまい、どうなることかとハラハラした原稿作成でしたが、何とか年度内に発行出来る見込みとなりました。
無事入稿を終えただけでは・・・まだまだこれから、納品されるまでは印刷業者さんと怒涛のやり取りが繰り広げられるわけですが、今は仕上がりを楽しみに、ホッと一息つかせていただきます。。。
ご存知ない?古墳から多く発見される神獣鏡は、青銅製で鋳型に流し込んで作られていますが、福井市博さんのワークショップでは、なんとシリコーンプレートにチョコレートを流し込んで直径約20cm(原寸大)のチョコのレプリカを作る鋳造体験?が人気となっています。その完成度の高さからTwitterなどでも話題となりました。皆さん楽しい事って大好きですものね。しかも今どきで言う「インスタ映え」するレアな体験です。人に言いたくなりますよね~。



昨日の
先日、古い写真ガラス乾板を整理していたところ…出てまいりましたよ「みぎハ京ミチ」の文字の刻まれた道標の写った写真!!昭和30年代前半の滋賀会館(昭和29年建設)の写真です(右の写真)。

と移動したということ、なんですね。どうですか?皆さま、謎が解けて、すっきりされましたか?
実は、当館の「琵琶湖図」については、ユネスコの決定を受けて「是非展示に貸してほしい」という他県の美術館さんからの依頼がございました。が、しかし!そこは何よりも先ず「地元の皆さんにご覧いただきたい、作品の文化的価値を知っていただいて、滋賀の誇りにしていただきたい!」という思いもあって、断腸の思いで他県からの依頼をお断り・・・しての登場となります。
