『朝鮮通信使に関する記録』ユネスコ世界記憶遺産に登録決定!

皆さん、10月末に嬉しいニュースが飛び込んできましたね!お気づきですか?『朝鮮通信使に関する記録』がユネスコ「世界の記憶(世界記憶遺産)」に決定したというニュースです。
平成28年(2016年)、ユネスコ「世界の記憶」への登録に向けて日本のNPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会と大韓民国の釜山文化財団が共同で申請していた『朝鮮通信使に関する記録』について、ユネスコ国際諮問委員会での審議を経て正式に「登録」が決定された!とのことです!
日韓の民間団体が共同で提出した申請リストには、滋賀県が所有し琵琶湖文化館が保管する円山応震筆『琵琶湖図』も含まれています!朝鮮通信使の行列が描かれているあの「絵」です!皆さん「県民のお宝」が、「世界のお宝」になりましたヨ!!

今回の登録には「琵琶湖図」の他に、長浜市出身で通信使に随行し外交官として活躍した江戸時代の儒学者:雨森芳洲の「雨森芳洲関係資料」(重要文化財・長浜市芳洲会所有)や、朝鮮人街道八幡宿での通信使の足跡を知る「朝鮮通信使従事官李邦彦詩書」(近江八幡市本願寺八幡別院所有)など、滋賀県内の資料が含まれています。

申請→登録→決定とこの日を迎えるまで、関係方々ご尽力いただいた皆さまには、様々なご苦労があったことと推察します。ユネスコ登録をきっかけに、世界の皆さんとの国際交流がますます深まるよう、これからも協力していければいいですね。

ではここで皆さん、想像力を膨らませてみましょう。「琵琶湖図」の中で朝鮮通信使が描かれているのは、大津の湖畔。私たちにも馴染みの道を、異国の服を着た人たちがワイワイにぎやかに通って行ったと思うと、ちょっと楽しい気分になりません?これが「琵琶湖図」の楽しみ方、異文化交流の第一歩です。

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ホームページ10月のアクセス数

11月になって、早くも街路樹が色づいてすっかり季節は秋らしくなってまいりました。
さて、恒例の10月のホームページアクセス数ですが、おかげさまで、1,352件のアクセスを頂戴しました!見ていただいている平均ページ数も先月より伸びており、本当に嬉しいかぎりです!!
ホームページでは嬉しい10月でしたが、琵琶湖上に建っている文化館にとっては、苦労の多い月(?!)となりました。というのも、二週連続で台風が来訪!(こちらはサイト訪問者様と違い、なかなか来訪してほしくないです…)この台風のため琵琶湖は大荒れ状態で、文化館の周りにも沢山の藻やゴミが漂着しました。文化館の前を通る方から「うわっ!すごい藻!」というお声をいただいてしまったことも。。。まわりの景観を随分と損ねているこの藻・・・さて、困りました。藻刈船:スーパカイツブリの今年の操業は終了したと聞いています。では、どうするか?・・・そこは人力でなんとかするしかありません。
船の上から、水をたっぷり含んだ重たい水草を引き上げるのは大変な重労働。。。それを、快く引き受けて下さっているのは、笑顔のステキな二人のおじさまです。この日も、最高気温が20度にとどかない寒い中、汗だくで作業をしてくださいました。
引き上げた水草の量は写真に写っているコンテナで約70杯分!おかげで清掃後の内池は、見違えるほどきれいになりました。周囲の美観を保つためにも、とても心強いお二人なのです!本当にいつもありがとうございます!

11月は、さすがに台風も来ないでしょう。秋らしく、しっとり、まったり、”文化の秋”を楽しみたいものです。これからも、琵琶湖文化館のホームページをどうぞよろしくお願いします。

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一休さんゆかりの寺院と版木

守山市には「一休さん」の愛称で親しまれる一休宗純(1394~1481)ゆかりの寺院があります。その名を少林寺といい、一休宗純の高弟である、桐嶽紹凰(とうがくしょうほう・1451~1534)という人物によって開かれたお寺で、一休さんゆかりの寺宝(肖像画や彫刻など)も複数所蔵されています。
その中には、現存が確認される一休宗純画像(頂相)のうち、二番目に古いものが伝来しており、僧侶の肖像画には珍しく朱色の太刀が一緒に描かれていることから、通称「朱太刀像」と呼ばれています。
この朱太刀像とともに、これを原画とした、江戸時代作の版木(複数刷るために彫られた木板)も伝来しており、こちらは現在、琵琶湖文化館に寄託されています。この版木を、お寺でお使いになられるということで、先日一時返還させていただきました。
というのも、古くから数十年ごとにご住職自らこの版木を用いて数百部摺刷し、さらに軸装にしつらえて、檀家さんをはじめとする所縁のある方々にお配りされているためです(このため、版面には長年使用された墨摺りの痕跡を確認することができます)。
数十年ぶりのこの機会。今でも生き続けるお寺さんと地域社会との関係、また一休信仰のカタチをここにみることが出来ます。

学芸員W

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米くへば鐸が鳴るなり

文化館とは近しい関係の滋賀県立安土城考古博物館さんは、今年開館25周年を迎えられます。明日21日から開催される開館25周年記念秋季特別展は、「青銅の鐸と武器―近江の弥生時代とその周辺―」。ポスターやチラシをご覧になった方もいらっしゃると思いますが、そこにずらりと並んでいるのが、野洲市・大岩山出土の銅鐸です。

銅鐸については、みなさんよくご存知でしょう。米作りの始まった弥生時代に作られた青銅製の鐘です。日本史の教科書にも、巻頭カラー写真で出ていましたね。ちなみに、教科書によく載っている、トンボの描かれた「袈裟襷文銅鐸」(伝香川県出土)は、ただいま京都国立博物館で開催されている「国宝」展に出陳されているようですよ。

残念ながら、滋賀県に国宝の銅鐸はありませんが、実は、銅鐸について語る上で外せないのが滋賀県なのです。記録に残る限り、初めて発見された銅鐸は、大津に都が置かれた頃、滋賀里山中に崇福寺を建立する時に掘り出されたもの。そして、野洲市の大岩山では、明治14年に14鐸、そして昭和37年に10鐸と、2度も大量の銅鐸が出土し、しかも、その数はのちに越されたものの、大きさでは今でも日本一を誇っております!

特に、大岩山での昭和の大発見は、文化館とも少なからず関わりがありまして。。。昭和37年7月、東海道新幹線の建設に伴っての工事中に発見された10鐸は、世間を大いに沸かせました。そして、紆余曲折ありましたが、当時の滋賀県の埋蔵文化財担当技師さんの奔走により、ようやく滋賀県が所有・保管することが決まり、その年11月に文化館で開かれた「琵琶湖考古展」でのお披露目となったのです!! その時のポスターがコレ!! なんともシンプルな!それでいて、しっかりと銅鐸の雰囲気を取り入れた色遣いで。。。じわ~んと心に鳴り響きます♪♪

またその後、発見された銅鐸を保管するため、埋蔵文化財の収蔵庫が琵琶湖文化館前に建てられ、安土城考古博物館ができるまではずっとこちらに収蔵されていました。その間、昭和62年には重要文化財に指定されましたが、なにより発見以来55年、散逸することなく県で保管できたことは誇るべきことでしょう。今後もずっと滋賀の宝として守っていきたいですね。

さて、この銅鐸、考古学研究の上ではどうなのでしょうか?55年間に、弥生時代の銅鐸を含む青銅器に関する研究は、目を見張るように進展しました。ただし、「何に使ったのか?」という最大の謎については、決定的な答えが出ていないようです。ということで、みなさんもこの機会に実際に銅鐸と向き合ってみて、謎に挑戦してみてはいかがでしょうか?

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ビックリ箱にご対面

先日、とある事情で今まで踏み込んだことのない我がお城:文化館の深部に足を踏み入れてまいりました。そこは暗闇・・・音の無い静かな隠し部屋・・・一体何がおこるのか・・・。
と、ちょっと期待持たせすぎました?僕たちが入ったのは、5階展望閣の屋根裏です。お城のてっぺん中のてっぺんです。
消火設備が置いてあることは、点検の際に把握していましたが、さらにその奥となると・・・以前、と言っても昭和40年代の頃のお話ですが、屋上にあるトンボがくるくる回って目をピカピカさせていた頃(そんな時もあったのです!!)、電球を交換するために学芸員さんが屋根裏から屋上に上がった・・・というお話を聞いたことがあったのですが、「嘘でしょ?!」と思ってたりなんかして・・・エヘッ。屋根裏部屋、僕も入るのは初めてです。そこに待ち受けていたものとは・・・

懐中電灯が照らすその先に見たもの:琵琶湖文化館建設の際に据えられた大きな棟札と、建設費協力箱!なんと「湖上にお城ができるまで-写真アーカイブ」でも紹介したあの募金箱です!昭和35・36年、琵琶湖文化館の建設協力を呼びかけた高さ1mほどの募金箱が、そこに4つ置かれていました。5階フロアから鉄製の梯子を腕力で上り、手をつき膝をつき大人がやっと入れる程の小さな入口をくぐり抜け、ようやく辿り着くこの空間に、一体誰が運び入れたのでしょう。

僕たちも、白黒写真でその存在は知っていましたが、暗闇の中で見つけたその募金箱は、とっても鮮やかなピンク色。。。まさかカラーでご対面できるとは。。。衝撃でした!

ここに置こう・・・と誰の発案なのか、当時の職員皆さん総意の合意なのか、今では知る由もありませんが、ちょっぴり気持ちわかります。このおかげで琵琶湖文化館が建ったのですもの。。。無下には出来なかったと思います。ここに残されたその意味、その気持ち、先輩。。。

文化館に勤めさせていただき、そろそろ「古株」扱いされる今日この頃、まだまだこのお城には、さまざまなビックリ箱の玉手箱が用意されているようです。次は何が出てくるのか、楽しみです。

筆:あきつ

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琵琶湖の助っ人

近頃文化館の周りではブォ~ンという重機の音が、湖の方から聞こえてきます。その正体は、この時季の琵琶湖のアイドル?! 強力な助っ人マシーン?!水辺に大量に繁殖する水草(藻)を根こそぎ刈り取る「藻刈船スーパーカイツブリⅡ号 (文化館では藻刈クンと呼んでいる) 」の操業です。
今年は例年より少ないと言えども、少し離れた沖合には、ジワジワと湖岸に寄って来そうな藻のカタマリが・・・。作業をされている方に聞くと、「今年は藻が岸に寄る前に沖合で一網打尽作戦!」なのだそうです(笑)。なんとも頼もしい。湖岸に建つ浮城:文化館としても大変有り難く、とてもお世話になっています。

毎朝、波の穏やかな早朝から作業を始められ、広い海原(湖原)を計画的に刈り取るその雄姿に、釣り人や散歩をする方たちが足を止めて、見入っておられるコトもしばしば・・・ギャラリーが出来るくらいに。まさにアイドル。。。湖が徐々にキレイになっていくのを見るのは、楽しいですものね。何というか爽快感?達成感?頑張れ藻刈クン!

そして静かな朝に、藻刈クンの響き渡るエンジン音を聞くと、「あぁ今日もお仕事頑張らねば」と気持ちに喝が入る・・・文化館の職員なのでした。

筆:あきつ

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講演会「梵鐘を守れ!文化財保護をめぐる戦時下の裏面史」お知らせ

先月行われた文化財講座「打出のコヅチ」第5回。残念ながら参加できなかった。。。という方には、朗報かもしれませんよ?「朝鮮通信使と近江」のお話をして下さった、あの滋賀県教育委員会文化財保護課の井上優氏が、今度は滋賀県平和祈念館で講演をされます。

「梵鐘を守れ!-文化財保護をめぐる戦時下の裏面史-」
講師:滋賀県教育委員会 文化財保護課 主幹 井上優 氏
日時:平成29年10月22日(日) 13:30~15:00
場所:滋賀県平和祈念館 2階 研修室
 (東近江市下中野町431番地)
定員:80名(申し込み先着順) ※事前申込が必要です。
参加料:無料

この講演会は、東近江市にある滋賀県平和祈念館の、第18回企画展示「戦時のくらし モノがたり -もの不足 食糧不足-」(会期:平成29年9月9日(土)~12月24日(日))に関連する、平和学習講座として行われるものです。

太平洋戦争のさなか、金属資源の不足を補うために金属類回収令が出されますが、家庭内の金属製品とともに、寺院の仏具や梵鐘までもが供出を命じられました。当時、滋賀県では、文化財技師をされていた日名子元雄さんが、かけがえのない文化財を後世に残すため、梵鐘の救出に奔走されます。今回の講演会では、県庁に残された資料をもとに、この時の日名子さんの苦闘と、戦時下に人々が強いられた苦難の一断面が語られるということです。

滋賀県の文化財について、戦争というフィルターを通して見ると、今現在見ているのとはまた異なった側面が見えてくるかと思います。戦争でなくとも、自然災害など文化財にとっての苦難はいつの時代にもあります。それらを乗り越えて、文化財を守り伝えて行くことがなぜ必要なのか、なぜ大切なのか、考えるきっかけにしていただけたら良いですね。

平和祈念館の企画展示には、金属供出の事前検査のために穴の開けられた梵鐘も展示されています。ご興味のある方は、ぜひこの機会に足を運び、見て、聴いてみて下さい。詳しくは、滋賀県平和祈念館ホームページをご覧ください(講演会のチラシはこちら)。

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井伊家伝来古文書(近代文書)の調査

徳川家譜代の大名で、ながく江戸幕府を支えた彦根藩の井伊家。そんな井伊家には、当時の幕藩体制や藩政等の実情を知ることのできる古文書が数多く伝来し、現在、彦根城博物館さんに保管されています。そして、これら伝来古文書の多くは、約40年前に網羅的な調査が行われ、膨大な資料の全容が明らかとなり、成果は『彦根藩文書調査報告書』(1~5巻)として、まとめられています(文書群のうち桃山~明治初期までの2万7800点は平成8年に重要文化財指定)。

そして現在、彦根城博物館さんでは、井伊家伝来古文書のうち近代文書(明治初期以降~)の調査が進められており、先月も調査員である大学の先生をはじめ、県内の学芸員、大学院生等が参加して、集中調査(史料調書作成、史料整理等)が実施され、当館も参加させていただきました。

激動の時代に井伊家がどのように歩みを進め、また「近代の彦根」がいかに形作られたのか、今後も数年かけて調査を行っていくということで、歴史の街・彦根の魅力がさらに深まりそうです。

学芸員W

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ホームページ9月のアクセス数

「秋の日は釣瓶落とし」と言いますが、ここ数日、日の暮れるのが急に早まってきたように感じます。そして先日、もうすっかり日が沈んだ空をふと見上げると、お月様がずいぶん丸くなってきたような。。。気が付くと、明後日4日は十五夜、仲秋の名月なんですね。今日はあいにくの雨ですが、明後日にはお天気が回復して、見事な満月が見られると良いな~と思っています。

さて、早いもので、今年度ももう半年が過ぎてしまいました。上半期を終えるということで、文化館でも、このひと月にはいろいろな変化がありました。まずは、おかげさまで10周年を迎えた文化財講座「打出のコヅチ」です。こちらは、9月21日に今年度の最終回を、過去最多の参加者による賑わいのうちに終了することができました。ご参加いただいた皆さまには、改めてお礼を申し上げます。ちょっぴり名残惜しい気もいたしますが。。。でも、また別の、新たな始まりがありました!ご覧いただいていますでしょうか?ホームページの方では、「湖上にお城ができるまで-写真アーカイブ-」を再開しましたよ!その写真は、文化館前の掲示板にも貼っておりますが、道行く方々にも楽しみ、また懐かしんでいただいているようで、嬉しい限りです。

そして、お待たせしました!!気になる9月のホームページアクセス数の方は?このひと月で1,412件のアクセスをいただきました。特に9月は、サイト滞在時間の平均が8月の平均より1分以上も伸びたことが注目されます。中には、なんと15分以上閲覧という方も(!!) 皆さまには本当に、じ~っくりとホームページをご覧いただいているようで、どうもありがとうございます!

検索キーワードとしては、第6位に「近江輿地志略」が上がっておりますが、このうち巻14が、ただ今、大津市歴史博物館の、企画展「大津の都と白鳳寺院」に先駆けてはじまった、ミニ企画展に出陳されています。7日から始まる企画展の方にも、崇福寺跡出土軒瓦など文化館の収蔵品が展示されますので、この機会にぜひ併せてご覧くださいませ。秋は、各地の博物館・美術館での展示会が目白押しです。文化館所蔵品の他館での展示については、情報が入り次第、「収蔵品公開情報」コーナーにて紹介しておりますので、どうぞチェックをお忘れなく!

それでは、これからも、日々コツコツと、“楽しく” “役に立つ“ホームページを目指して、頑張っていきます!10月も文化館ホームページを、どうぞよ・ろ・し・く。

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平成29年度 第5回「打出のコヅチ」が開催されました!

秋分の日を過ぎ、学びの意欲もますます深まる、気持ちのよい季節となってきましたね。勉学の秋に先駆けて(?)、先週の21日(木)には、平成29年度の文化財講座「打出のコヅチ」が開催されました。今年度の最終回となった第5回には、県教育委員会文化財保護課の井上優氏をお迎えして、「朝鮮通信使と近江」というテーマでお話いただきました。

「朝鮮通信使」。最近、テレビや新聞でも何かとよく目にしますよね。江戸時代にその一行の通った道が、現在でも滋賀県内に「朝鮮人街道」として残り、人々に親しまれているということもあるのでしょうか?開催前から、みなさまの関心がとても高いことにも驚かされておりました。。。そして、開催日が近づくにつれお申込みもドンドン増え。。。当日はなんと(!!) 過去最高となる、そして会場の空席を埋め尽くす、198名もの方にご来場いただきました。ご参加いただいた皆さま、本当に、本当に、ありがとうございました。

さて、講座の内容はと言いますと。。。地元の方はよくご存知とは言え、「朝鮮人街道」全行程を歩いてみた方は少ないかも知れません(車では走るんですけどね~)。それを今回は、現地の写真をふんだんに交え、周辺に残る通信使関連の文化財なども紹介しながら。。。まるで講師の先生をガイドに歴史探訪ウォーキングをしているかのような、てくてく気分を存分に味合わせていただきました。江戸時代の近江には、東海道も中山道もあるのに、なぜ通信使は湖岸寄りのこの道を通ったのか???いろいろな説があるようですが、現地の様子を写真で見ていただいて、参加者の方それぞれにお考えを深めることができたのではないでしょうか。

そして、通信使と言えば、忘れてならないのが雨森芳洲先生。江戸時代の儒学者で郷土の偉人ですが、通信使に2度も同行し、通訳として日本側とのやりとりを橋渡ししたのが芳洲先生です。この方について、講師の、同郷のよしみとしての(?)、思い入れたっぷりの解説も良かったですね。かつては日本史の教科書にもほとんど載っていなかった雨森芳洲の名。それがなぜ、平成の時代になってこのように有名になったのか?その謎もしっかりと解明していただけましたよ~!!

なお、今回の講座には、ケーブルテレビのZTVさんが取材に来て下さいました。「おうみ!かわら版(滋賀)」という15分の番組の中で紹介していただけるようです。本日25日は7:00/13:00/15:00(放送エリア:大津市・草津市・栗東市・守山市・野洲市・湖南市)に放映があります(彦根・近江八幡放送局は7:30/15:30)ので、こちらもぜひご覧ください。

それから、それから、今回のお話の元となった「朝鮮通信使資料」は、現在、ユネスコの記憶遺産(最近はユネスコ「世界の記憶」と言うそうですが)の登録候補となっており、登録となるかどうか、その決定が間近に迫っているとのこと。当館の「琵琶湖図」もエントリーされてます。みなさまも一緒に、ドキドキしながら結果を見守っていただけると幸いです。

最後になりましたが、平成20年度より始まったこの滋賀の文化財講座「打出のコヅチ」も、今年で10年目を迎えました。また、この10年間での参加者数は4,000人を突破し、今回まででのべ4,303名の方にご参加いただくことができました。ここまでの長期にわたり続けてこられたのは、ひとえに県内外のみなさまの、滋賀の文化財について「知りたい」「見たい」というアツ~イ想いのおかげです。今後の講座開催については今の時点では未定ですが、ひとまず10年の区切りとして、ここまで支えて下さったみなさまに厚くお礼申し上げます。また、今後とも滋賀の文化財に対して、幅広い方面からご支援いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

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写真アーカイブ 再開!

4月に入ってからお休みしていた「湖上にお城ができるまで-写真アーカイブ」ですが、先週より再開いたしました!(楽しみにして下さっていた方、お待たせしました!)
お休みを頂いていた間、何もしていなかった訳ではありません。新たに見つかった建設当時のネガを分析し、写真をより詳しく整理し直すなど再開に向けて頑張っておりました。
そして今日は、そんな整理作業中に新たに判明した”写真アーカイブの事実”をお教えしようと思います。

「S35年5月~7月」のページにある10枚目と11枚目の写真。ご覧になった時に「アレ?」と思われた方もおられるのではないでしょうか?「ポンプで水を抜いているのに、次の写真でも、まだ水が残ってる?しかも、前の写真より水位が高い?」
写真を紹介しております私も当初は、「これだけの量の水を抜くのには、やっぱり相当な時間がかかるのかしら」と思っておりました。ですが、新たにネガシートのケースに書かれていた情報から、ようやく謎が解けました。表紙には「シートパイル倒れかかる前」「シートパイル倒壊の為対策中」と手書きで書かれていたのです。つまり、シートパイルを打込んで水を抜いた後に、シートパイルが倒壊。水が建設予定地に再び流れ込んできてしまったようなのです…まさに振り出しに戻る!

ありがとうございます!手書きしてくれた50年前の先輩!スッキリしました!
当時の建設に携わった人たちの苦労を考えると、ほんとうに言葉になりません…改めて、湖上にお城を建てる大変さを垣間見た気がいたしました。

昭和35年当時の貴重な記録、琵琶湖文化館の建設という一大事業を紹介しようと始めたこの企画。これからも様々な写真が登場します。再開した「湖上にお城ができるまで-写真アーカイブ」にご期待下さい。

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文化財かるた

みなさん、ご存知ですか?県内の様々な分野の数ある文化財を守り、次世代につなげようと尽力なさっている滋賀県の教育委員会事務局文化財保護課さんが、今、「文化財かるた」の『読み句』を大募集!されています。

応募にあたっては、五・七・五を基本とし、字あまり、字足らずもOK。題材には、滋賀県内にある次世代へ伝え残したい、「魅力ある地域の文化財」を読み込んで下さいとのことです。何にしようかな・・・全国第4位の文化財保有県:滋賀ですからね、いろいろあり過ぎて悩みますね。では、ジャンルを絞ってみましょうか?・・・神社、寺院、仏像、祭り、城郭、古墳、遺跡・・・やっぱり悩みます。。。
何ナニ?「魅力ある地域の文化財」とは、『これまで地域で大切に守られ、これからも大切に伝え残すべき文化財、身近にあって愛着のある文化財』のことだそうです。

・・・これってコレって・・・『文化館』のこと???!!!すみませんね~身内贔屓で(笑)。
・・・しまった!ダメです!!・・・「頭の文字」は、「ゐ」「ゑ」「を」「ん」を除く44文字!
「文化館」の「ぶ」には濁点が・・・落ちた(泣)。
・・・ならばならば、終りを「ぶんかかん」の5文字で〆れば・・・
・・・『過去未来 つなぐ浮き城 文化館』・・・とか??!

さぁ、皆さんも頭の体操です!五・七・五を考えましょう~。ほらホラ、指折り数えて(笑)。ひょっとして、「いつまでも」とか、「のこしたい」とか、みんなが使い易そうな始まりの句は、競争倍率が高くナリマスカ??あえてソコに挑戦するか、もしくは大穴狙いで「ぬ」とか「る」で始めてみます?・・・(難)。

いろいろ悩ましいですが、考え出すと楽しいですね~。応募の締切は9月29日まで。詳しい事は、滋賀県教育委員会事務局 文化財保護課 記念物係(TEL077-528-4674)までお問い合わせ下さい。

ここで一句 『浮き城に とまったとんぼ あきつくん』

・・・小学生レベルな自分の知能が恥ずかしい。。。

筆:あきつ

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お申込みはお済みでしょうか?「打出のコヅチ」第5回

ご好評をいただいております滋賀の文化財講座「打出のコヅチ」も第5回目、いよいよ今年度の最終回を迎えます。みなさま、もうお申込みはお済みでしょうか?

今回コヅチから打ち出てきますのは、「朝鮮通信使と近江」です。「朝鮮通信使」って。。。ほら、昨年の講座第5回を受講した方ならきっと覚えていらっしゃるはず!! あの円山応震の描いた「琵琶湖図」に小さ~く描き込まれていた、湖岸を進む異国人の行列。そうです、あれは朝鮮通信使の一行なのです。

江戸時代、日本は鎖国していたと言いますが、実際はお隣の朝鮮国と琉球王国とだけは国交がありました。そのため、将軍の代替わりの時などに、朝鮮国から日本へ使節が派遣されていたのです。その朝鮮通信使が江戸までの往復に使ったのが、琵琶湖の東側を通る「朝鮮人街道」(今でもそう呼ばれていますね)。そして、通訳として2度も通信使に同行した対馬藩儒・雨森芳洲(教科書にも出てくる有名人)は、近江国の出身だということ。どうやら朝鮮通信使と近江はとっても縁が深いようですね。

というわけで、今度の講座では、滋賀県教育委員会文化財保護課の井上優氏を講師にお迎えして、近江の異文化コミュニケーション史を振り返っていきたいと思います。今回取り上げられる朝鮮通信使関係資料は、ユネスコの記憶遺産登録候補にもなっており、大変注目されているものです。これについても、詳しく、わかりやすく解説いたしますので、みなさまどうぞお聞き逃しのないように!!

講座のお申込みは、滋賀県立琵琶湖文化館(TEL 077-522-8179/FAX 077-522-9634/メールbiwakobunkakan@yacht.ocn.jp)まで、以下の内容をお伝えください。
①お名前
②お住まいの市町名
③連絡先(電話番号)
④参加回
⑤講座のことを何で知ったか

それでは、会場(コラボしが21 3階大会議室)でお目にかかれることを楽しみにしております!

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大きな芋と大きな男のお話

9月です。実りの秋です。滋賀で生まれたお米「みずかがみ」新米出荷のニュースも聞こえてきました。炊きたての新米~、これが待ち遠しいのはやっぱり稲作民族だから?
でもでも、昨年の文化財講座「打出のコヅチ」第4回を受講された方ならご存知のはず。稲作文化という日本文化の表層をペロッとめくると、そこに現れるのはイモに代表される畑作文化、でしたよね。そして、それを象徴するのが、近江の奇祭、滋賀県日野町中山の芋競べ祭り(国指定重要無形民俗文化財)、でしたよね。この祭り、今年からは日程が9月の第1日曜日(今年は昨日3日)となったということで、ちょこっと見学に行ってきました。お天気にも恵まれて、「芋の子を洗うような」とまではいきませんでしたが、例年以上のお客さんに囲まれながら、本年もつつがなく執り行われましたョ。

午後1時からの三々九度の行事を終え、熊野神社を出発した氏子の一行は、イモの飾りつけをした竹棹を担いで集落の中を練り歩き、祭場である野上山を目指します。一面に石を敷き詰めた山上の祭場で、神へのお供え、相撲などの神事を済ませると、いよいよ東谷と西谷でのイモの長さの競い合い。一度では決着がつかず、何度も何度も測り直しが行われ、ようやく午後4時前に、西谷の勝ちと決まり、今年も雨が少なく豊作だということになりました(ホッ)。

850年以上もの長い歴史を持つというこの祭り。見ていると、この地域も例外なく少子高齢化の影響を受けて、祭りを構成する要素が少しずつ変化しているようです。それでも、なんとか伝統の祭りを続けて行こうとされている地域の方々の熱い思いに触れ、イモだけでない、とても大きな収穫があったような気がします。。。

そしてまた別の、思いもかけない収穫もありました!それは、この祭りの始まりについてです。言い伝えによると、むかし、ダダボシという大男が琵琶湖を掘って土を運んでいたときに、この中山のあたりで、ズイキ(イモの茎)でできていた天秤棒が折れたので、代わりを探させたところ、村の人々が一生懸命になってズイキの長さを競い始めたのが始まりだということ。ダダボシって、もしかして!?8月10日のブログでご紹介したダイダラ坊のこと?こんなところにまで足跡を残していたなんて!もう、本当にびっくり仰天です!

というわけで、奇祭に釘づけとなり、伝説に驚かされるという、ワンダーランド近江を満喫する秋の一日でした。みなさまも機会があれば、ぜひ一度ご覧になってくださいね!

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ホームページ8月のアクセス数

暑いばかりと思っていましたが空気は少し秋めいてきましたね。月日が経つのは早いものでございます。さぁ、今日も元気にホームページアクセス数のご報告!8月のアクセス数は・・・1,611件と、こちらも元気(笑)!感謝すべき数字。。。有り難うございます!

ところで皆さん、先月にホームページで紹介した当館の収蔵品「井伊直弼書跡 萬里一条鉄」は、ご覧いただきましたか?実は今回、この作品を選んだのにはいろいろ理由がありまして・・・。
収蔵品紹介シリーズ「浮城モノ語り」は、月一回のペースで更新していますが、8月の執筆当番としては、何を書こうかと、ず~っと悩んでいました。数ある収蔵品の中から「コレ!」という一品を選ぶのもこれまた一苦労・・・季節を感じられるものがいいか、滅多に見ることが出来ないお宝がいいか、できれば「文化館にはこんな貴重なものがある」というところもお見せしたい。。。さて、どうしましょうか。。。
と、そんなタイミングに、世間で盛り上がっていたのが、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」。主人公直虎の幼なじみで、時には敵になり味方になり直虎を陰で支えた小野政次が、壮絶な最期を遂げる回の放送でした。政次を演じた俳優高橋一生さんの演技力にも注目が集まり、「政次ロス」の人が増えるなど、インターネットでも連日話題となっていたましたね。
それなら・・・なんとかこの世間の注目を、文化館のHPに活かすことはできないか・・・考えました。直虎・・・舞台は遠江(とおとうみ:静岡)・・・こちらは近江(ちかつおうみ)・・・何より「井伊」繋がり!!ということで、井伊家で歴史上最も有名な?!井伊直弼の書跡を紹介しようと、行動に移ったわけなのです~。
折りしも、昭和46年に文化館が開催した「近江先覚者シリーズ①井伊直弼」展の写真整理を行っていた8月。何かの『ご縁』に呼ばれた?!・・・紹介するなら今!頑張れ自分!!というわけで、頑張ってみたわけです(笑)。作品では、掛軸の表装「一文字」部分に、しっかり井伊家の「井」の印が入っているところまで、チェックしていただければ嬉しい・・・かな?!

そうそう、今日は月初めのHPアクセス数の報告がメインでしたね。実はこのように!当館オススメのホームページが、なんとか皆さんのお目に留まりますように!検索に引っかかりますように!!アクセス数が伸びますように!!!と、職員は知恵を絞っているわけです(笑)。おそらくは他館さんも一緒?涙ぐましい努力と褒めてあげて下さい(笑)。

ついでにと言っては何ですが、滋賀県民の「大河あるある」ご紹介しておきましょう。
「大河ドラマ、井伊家の話やね」『でも放送は静岡ばっかりで、いつ滋賀が出てくる?』「心くん(虎松)が成長して直政になってからやから・・・最終話の15分位やろ(笑)」『そやな(笑)。滋賀県出たらいいな』・・・これに似た会話を、滋賀県民なら10人中3人は誰かとどこかで喋ったことがある・・・と思います。身内贔屓な話ではございますが、滋賀県民にとってそれほど井伊さまは特別なのでございます。

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収蔵品放映情報:相撲幟 技と清流が生んだ色彩

このブログでも度々、収蔵品の展覧会への出陳情報とあわせて、本や雑誌などで紹介、掲載されていることをお伝えしていますが、実はテレビなどの動画コンテンツでもよく紹介されています。
今回は東海地方のテレビ局さんから収蔵品の画像利用についてお問い合わせをいただき、先日、成果品のDVD(右写真)をご寄贈いただきました。

この番組は相撲幟(のぼり)制作の伝統技術についてのもので、これまであまりご縁のなかった世界のお話しでしたが、相撲の歴史を紹介するということで、当館に寄託されている御上神社(野洲市)ご所蔵の滋賀県指定文化財「相撲人形(行司・力士)一組」が取り上げられました。
鎌倉時代に遡る木造彩色の相撲人形は、現存する多くの相撲人形が力士単体の像であるなか、力士が組み合い、行司とセットで伝来する非常に珍しい作例で、当代の相撲神事の実像を今に伝えてくれる貴重な作品です。
 
なお、日本ケーブルテレビ連盟が運営する動画コンテンツサイト「じもテレ」でも、9月29日まで動画が公開されますので(動画はコチラ・本品が登場するのは、3分39秒頃から)、東海地方以外の方でもご覧いただけます。
番組の主旨はあくまでも、伝統的な相撲幟の制作技術を取り上げたものですが、王道の歴史系情報番組だけでなく、このように意外な場所?で滋賀の文化財が活躍していることがありますので、ぜひぜひ、チェックしていただければと思います。

学芸員W

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平成29年度 第4回「打出のコヅチ」が開催されました!

お盆休み(文化館にはありませんでしたが。。。)も明けた17日。滋賀の文化財講座「打出のコヅチ」第4回を開催させていただきました。相変わらずの暑さのうえに、まだまだ何かとお忙しい時にも関わらず、講座には今回も146名というたくさんの方にご参加いただくことができました。万難を排して(!?)ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。

今回は、県教委文化財保護課の矢田直樹氏を講師に迎え、「近江の曳山祭り」というテーマでお話いただきました。昨年、近江を代表する祭りである長浜曳山祭、大津祭がそれぞれ、ユネスコの無形文化遺産、国指定重要無形民俗文化財に登録・指定され、日本だけでなく世界的にも注目が集まっているということで、皆様の関心もことのほか高いテーマだったのではないでしょうか?
会場では講座の始まる前から、湖北地域で催されているお祭りの動画がスクリーンに映し出され、そこから流れるお囃子のリズムに、これから始まる講座へのワクワク感が自然と高まります。

講師の先生からは、長浜、大津の他にも、水口、日野、大溝といった、県内を代表する祭りについて、写真をふんだんに用いながら、祭りの進められ方や曳山やお囃子の特徴について大変詳しくご説明いただきました。参加された皆さんは、会場に居ながらにして、まるで祭りに参加しているような臨場感を感じられたのではないでしょうか?また、最後の「世界遺産への登録それ自体は終点ではなく出発点である。」という言葉も、とても印象的でしたね。

参加者の皆様からは、講座後のアンケートに「知っているつもりだった祭りの内容が深く勉強できた」「本来の神事との関わりや意味を改めて認識することができた」「(祭りが)何年かおきの開催であったりということで、文化財の保存・維持は大変だ」などの感想をいただきました。近江の祭りへの興味・関心をより深めていただくことができたようで、こちらとしても嬉しい限りです。

さて、次回はいよいよ最終回となります。第5回は、9月21日(木)、県教委文化財保護課・井上優氏をお迎えして、「朝鮮通信使と近江」というテーマでお話いただきます。江戸時代に朝鮮国から日本へ派遣された朝鮮通信使に2度も同行したのは、近江出身の雨森芳洲でした。彼の外交思想とは??? 次回の講座も新たな発見がたくさんありそうですよ!お申込みは電話・Fax・E-mailで琵琶湖文化館まで。多くの方のご参加をお待ちしております!

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人気上昇中?米原市杉沢遺跡

少し前のことですが、新聞に「発掘とアート つながりを紡ぐ」というタイトルの記事が掲載され(7月29日(土)京都新聞)、京都文化博物館で開催されている「京都の画家と考古学」という展示(8月20日まで)が紹介されていました。そして、記事の続きには、米原市の杉沢遺跡周辺で開かれる「芸術と考古学 夏休みの遺跡」展(8月25日~31日)の案内が掲載されていました。遺跡を発掘調査した立命館大学の学生さんたちと現代美術家が共同で、地中と地上に出土品と現代の作品を並べて作り出す展示会だそうです。考古学とアートの関係って、これまでもなかった訳ではないと思いますが、遺物だけでなく、遺跡の調査自体と結びつけた形でのアートというのは新たな発想で、ここから何が飛び出してくるのか楽しみです。

さて、杉沢遺跡というと、実は、琵琶湖文化館ともご縁のある遺跡です。今年の5月に、真陽社さんより『小林行雄考古学選集 第3巻 縄文文化の研究、通史・概説』という本が刊行され、そこに、昭和13年に東京考古学界から出された雑誌『考古学』掲載の「近江坂田郡春照村杉澤遺蹟」という論文が再録されましたが、この報告書に写真が掲載されている杉沢遺跡出土の石器(御物石器・多頭石斧)は、今は文化館の館蔵品となっています。
この論文、戦前に発表されたもので、編集した東京考古学界も今は解散していて、さらに著者のお一人である小林行雄先生もすでに亡くなられ。。。ということで、出版社の方は権利関係の確認に大変ご苦労されたようです。
それでも、いろんな方面を調査してようやく、写真に写る石器が今は琵琶湖文化館にあるということを突き止めて、当館に確認のお電話を下さったのです!!

というわけで、再録された本の最後には、出土品の所蔵者ということで「滋賀県立琵琶湖文化館」の名称を載せていただいております。いやぁ、出版物にたった数文字を入れるだけのことなのですが、そこにいたるまでの編集者さんのご苦労は、ホントに、並大抵のことではなかったとお察しいたします。それも、1枚だけでなく、1冊の本に掲載されるものすべてについてなのですから。。。当館としては、よくぞ探し当ててくださいました!! という感謝の思いで一杯です。
そして、このような学史的に有名な滋賀県の遺跡が、学史の中だけで終わるのではなく、新たな装いで今の時代に蘇り、またもう一方で、アートと協働するという最先端の活用がされるなんて(!!)、これもまたとっても嬉しいことです。そこにちょっぴりですが文化館が関わっているということも。。。
杉沢遺跡出土の石器は、現在、地元の米原市伊吹山文化資料館にて展示中です。みなさまには、こちらの方にも足を延ばしていただければ幸いです。

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琵琶湖と富士山をつなぐもの

直前の台風の影響が心配されたびわ湖大花火大会も無事に終わり(ホッ)、打出浜もサラッとした夏本番の空気感。。。まだまだ暑さは厳しいですね~。こんな時、湖も良いですが、高い山の上など、涼しいところにも行ってみたいな~などと思います。

さて、日本一高い山というと、富士山ですよね。富士のあの雄大な姿を見ると、たとえそれが描かれたものであっても、何か清々しくまた晴れ晴れとした気持になるのは何故でしょう。。。だから、銭湯の壁にまで(!!)描いてしまうほど、画題としてもポピュラーなものになっているのでしょうか。
文化館にも、その富士の優美な姿を描いた屏風絵などがございまして、少し前ですが、静岡県の方から、作品の写真貸出の依頼がありました。今年の12月にオープン予定の富士山世界遺産センター(仮称)で、富士山に関わる芸術を集めた展示をされるということです。富士山をモチーフにしたさまざまな作品が一堂に並ぶ姿は、きっと素晴らしいものに違いありません。どんな展示になるのか楽しみです!

ところで、琵琶湖の傍に住んでいて、「富士山」と聞くと、ダイダラ坊の話を思い出します。民俗学者・柳田国男先生の「ダイダラ坊の足跡」という論文によると、「むかしむかし大々法師(ダイダラ坊)という大男がいて、近江国で地面を掘って出た土をモッコで運び、東へ三歩半行った所で傾けたところ、出来たのが富士山。そして、掘った穴が琵琶湖になったのだ」と。
普通なら、「そんなことあり得へん~~!」と思うのですが。。。それで終わらないのが近江人のすごいところ!! この伝説にちなんで、毎年7月に琵琶湖の水が富士山頂まで運ばれ、8月の終わりには富士山頂の湧水が琵琶湖に運ばれるという行事まで行われているのですって!! なんとまあ、山の上から湧き出た冷た~い清水。ウフッ。。。想像するだけでちょっと涼しさが感じられます。
さあ、明日は「山の日」。みなさんもどうぞ、いろんな形で山と親しんで下さいね。厳しい暑さが、気持ち?和らぐかもしれませんよ。(写真は、琵琶湖とダイダラ坊のモッコの編み目からこぼれ落ちてできたという三上山。またの名を「近江富士」と言います。)

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お申込みはお済みでしょうか?「打出のコヅチ」第4回

皆さま、来たる8月17日(木)は何の日か?そうです、文化財講座「打出のコヅチ」開催日です。忘れてはなりませんよ?ただ、開催前に皆さまに一つ謝らなければなりません。「お盆ウィークは何かと忙しくて行けないから1週ずらして~」と、昨年のアンケートでご意見をいただいていたにも係わらず、今年もやはり第3週の開催となってしまいました。会場の都合等々、オトナの事情により敢え無く17日となってしまったこと、何卒お許し下さいませ。
その代わりと言っては何ですが、他の予定をスル~してでも参加したくなる?!いや参加した方がいい!!今回の文化財講座でございます。演題は『近江の曳山祭り』です。楽しみですね~祭りだなんてテンション上がりますね~。おや?僕だけですか?・・・何故??

実は!何度かブログでも紹介している「写真整理」の作業中に、またまた見付けてしまったのですよ、お宝写真!それは昭和37年に開催された「お祭り展」のものと思われる関係資料です。アルバムタイトルはズバリ「県下の祭り①~⑤」・・・だから先輩・・・タイトルがザックリし過ぎです・・・(笑)。 年代物の写真を前に、途方に暮れていた私たちですが、そこへ現れた救世主がこの方:今回の講座の講師先生でいらっしゃいます、滋賀県教委文化財保護課(民俗担当)の矢田直樹さんです。急遽こちらがお願いしたヘルプ!の要請を、快く引き受け下さった矢田さんは、お宝写真を眺めて、「おぉ~なるほど」「すごくいいですね」を連発!当時の様子にコーフンしながら、それはもう楽しそうに僕たちに詳しく説明して下さいました。だから僕のテンションも上がっているわけです↑↑。

17日の講座では、ユネスコの無形文化遺産の一つに登録された長浜曳山祭りや、大津・日野・水口・米原・大溝などの曳山祭りについて、詳しくお話しいただけるそうです。そもそもどのようなお祭りなのか、全国の山・鉾・屋台行事や県内の曳山祭りの特徴、そして「山」がなぜ動くのか等、興味深いお話しが盛りだくさんです。その中で文化館のお宝写真も特別に友情出演?!・・・皆さんの「知りたい」欲求の一助になれば幸いです。

会場は、コラボしが21(大津市打出浜2-1)3階大会議室での開催です。
お申込みは、滋賀県立琵琶湖文化館(TEL 077-522-8179/FAX 077-522-9634/メールbiwakobunkakan@yacht.ocn.jp)まで!お申込み、お待ち致しております~!!

筆:あきつ

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武将の体格

とあるテレビ局の歴史系情報番組の制作クルーの方が、戦国武将の肖像が描かれている掛軸を撮影に来られました。その撮影の合間、立ち話程度に「この武将の体型・体格って、どんなだったのでしょうねぇ??」というような会話があったそうです。・・・ははぁ~んナルホド、番組を作る側としては、ソコが気になります?!
素人の僕は、正直そこまでこだわった見方をしたことはありませんでした。もし、お殿様に「肖像を描け!」と命令されたなら、その時点でおそらく格好良さは2割増し?!少し斜めの角度から、威風堂々、強気な眼差しで・・・というパターンの肖像画がほとんどではないでしょうか?
そこで気付いたコト・・・武将の肖像画には、体型・体格を想像させる「立ち姿」が残されていない?!戦や合戦の場面では、ガッチガチの甲冑姿ですもの、体型まで分かりませんよね。それが狙いだったのか、流行だったのか、座り姿の肖像が定番であるように思います。聞くところによると、エライ武将さまは神様・仏様と同じとされ、その威光により念珠や袈裟を掛けていらっしゃることもあるとかなんとか・・・そんな偉大な方に何時間も立ってていただくことはできませんよね?とにかく「戦国時代の武将の肖像画には立ち姿がない」というのが、『あきつ妄想研究所』の見方です。。。

あぁ、どなたか、「共同研究者求ム」です。きっとこのような場合は、当時の文書などを調べれば、何らか情報・ヒントを見付け出すことができるのでしょうね。今の時代なら、VR(仮想現実)でよりリアルに再現?3Dプリンターで立体に??あきつ研究所のモ~ソ~は膨らみます。。。

筆:あきつ

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ホームページ7月のアクセス数

いよいよ「夏本番!」と言いたいところなのですが、ここ最近梅雨が戻って来たかのような蒸し暑さに辟易してしまいます。通勤だけで滝のように汗をかき「もういっそ、湖の中に飛び込みたい!」なんて思ってしまう今日この頃。みなさま体調管理は万全ですか?水分補給は必須ですよ!

そんな毎日暑い中、あきつブログ恒例のホームページアクセス数ですが、7月はジメジメ~な暑さも吹き飛ばす(!?)結果となっておりました。なんと、アクセス数が1,530件と今年度に入って、初めて1,500件超えとなりました!ユーザー数の方も先月より増えて、こちらも今年度に入って一番となっております。そして、ページビュー数(何ページ見たか)も先月より大幅に増えておりました。より多くの方が琵琶湖文化館に興味を持っていただいたという結果が数字に出ているのかと思うと、夏バテ気味の私も元気が出てまいります。皆さまどうもありがとうございました。

今回訪問されている方の中では、東京を中心とした関東地方の方のアクセスを見かけました。これは、「収蔵品公開情報」でもお伝えしている、現在、三井記念美術館で開催中の「地獄絵ワンダーランド」を通して琵琶湖文化館のホームページを見ていただいているということでしょうか?(エヘッ)今回は地元・滋賀を含めた近畿のほかに名古屋や岐阜など東海地方の方々に熟読頂いているようです。
更に、昨年度末に訪問が多かったロシアの都市サマーラからの訪問も再開しています。またユネスコ記憶遺産への登録を目指している朝鮮通信使の関係でしょうか?韓国からもアクセスがありました。国内だけではなく、海外からもアクセス頂いて、ワールドワイドな状態に本当に嬉しいかぎりでございます。

夏休みも始まりました。8日(火)には「びわ湖花火大会」も開催されます。暑さに負けず、みなさまアクティブに行きましょう!!そして琵琶湖文化館はそんなみなさまの参考にしていただけるようホームページの更新を頑張っていきたいと思います。では、8月もよろしくお願いしま~す!

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平成29年度 第3回「打出のコヅチ」が開催されました!

梅雨が明け、青空となった7月の第3木曜日。そうです、この日は滋賀の文化財講座「打出のコヅチ」第3回が開催された日です。当日の日中の最高気温は33.4℃。カ~ッと照り付ける日差しはもう真夏。ちょっと外を歩くだけで汗ダクになり、水分補給の欠かせない一日でした。そんな暑い日にもかかわらず、講座には、147名というまたまた大変多くの方にお越しいただくことができました~!! ご来場下さったみなさま、どうもありがとうございました。

第3回は、当館学芸員の渡邊勇祐が登場し、「日吉山王祭礼図を読み解く-琵琶湖文化館蔵「日吉祭礼図」の図解を中心に-」というテーマで、お話させていただきました。「山王祭」というと、毎年3月から4月の中頃にかけて大津市坂本の日吉大社で行われる盛大なお祭りで、花渡り式、宵宮落としに続いて、琵琶湖上を神輿七基が走る船渡御が見どころ、というのが多くの方の理解ではないでしょうか?

この祭りの様子は、江戸時代に描かれた「日吉祭礼図」(当館所蔵)に、詳しく記録されています。ところが今回、この絵巻を講師の解説とともに詳しく読み解いていくと。。。かつてお祭りは日吉神社と延暦寺が一体となって行っていた(!!)とか、神事に僧侶も加わっていた(!!)とか、はたまた(他の屏風絵なども参考にすると)粟津の御供の神事はかつては陸上で行われていた可能性がある(!!)とか。。。今、私たちが見ることのできる姿とはかなり違っていたことが明らかになるという、いやはや、まさに「猿も木から落ちる」、あっいや違った!「目から鱗が落ちる」ような講座でありました。

さて今回は、大津の祭りということで、地元の方の関心も高く、実際に山王祭に携わっていらっしゃる方などもご参加いただいたようです。講座終了後の質疑応答の際には、「粟津の御供を陸上で行っていたという話は地元でも伝わっている」など興味深いお話もうかがいました。一つの作品を通して過去と現在が繋がり、さらに祭りを未来へ続けていくために何らかの形でお役にたてるなら、これは大変嬉しいことです。「日吉祭礼図」自体も、まだまだこれから研究の余地がある作品だということです。これからも地元の文化財として大切に守り、活用していきたいものですね。

次回の「打出のコヅチ」は8月17日(木)、県教委文化財保護課・矢田直樹氏を講師にお迎えして、「近江の曳山祭り」というテーマでお話いただきます。今、世界中から注目の的となっている曳山祭り。滋賀でも、長浜、水口、日野など各地で行われており、秋10月には、大津でも大津祭があります。こういった曳山祭りをもっともっと楽しむためにも、たくさんの方に講座をご聴講いただけたらと思います。お申込みは電話・Fax・E-mailで琵琶湖文化館まで。多くの方のご参加をお待ちしております!

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1枚の写真の確認 その②

さて、前回のブログに引き続き、一枚の写真からどこの「庭園か?」を突き止める:あきつのぶらり旅(そんな名前でしたっけ?)です。インターネットで検索をし、アタリを付けたのは、長浜市にある「孤蓬庵」さん。こちらは、小堀遠州(1579-1647)の菩提を弔うため、江戸時代前期に開山した臨済宗大徳寺派のお寺で、遠州が京都大徳寺に建立した孤篷庵にちなんで、近江孤篷庵とよばれています。昭和34年4月には、庭園の石組み等が江戸当初の遠州流庭園の基本的な条件を遺しているということで、滋賀県史跡名勝にも指定されました。
人里離れた山奥、喧騒を離れてひっそりと佇むその庵は、なんともしっとりとしたいい雰囲気・・・季節は初夏、鳴き始めた蝉の声はまだ疎らで、逆に静けさが際立ちます。中に入らせていただくと、開け放たれた襖の奥に見事な庭園が!!なんてステキ!心躍るとはこのことです。。。癒されるわぁ。。。

っと、ここで今回のミッションを思い出せ!・・・お目当ての石はいづこに???あった!ありました!本堂の南西側、イブキリンドウの群生が広がるその奥に、石組みが確かに!!あぁなんだろう。アイドルの追っかけをして現地でご対面しちゃった気分(笑)。テンション上がります~!
お庭の紹介には、【五老峰、海、舟石等を配した枯山水庭園】とあります。また、【小堀遠州の号でもある「孤蓬」とは、『一隻の粗末な葦舟』という意味で、この庭に因んだもの。美しい光の世界(浄土)を求めて、一隻の小さな舟(一人の人間)で大海原(社会)を漕いでいく私たちの姿を象徴しているように思われます】とも書かれていました。なるほど美しい悟りのお庭。白黒写真と同じ角度で撮ってみると・・・はは~ん、白黒写真には左手前の舟石や大海原が写っていない・・・だからパンフレットから外れたの・・・かな?

(パンフレットに掲載されたのはコチラ:北東面の池泉回遊庭園→)

とは言え、出会えたこの感動、1人で持ち帰るには勿体ない。。。そこで庵にいらっしゃったご住職夫妻にお声をかけさせていただきました。「琵琶湖文化館で昭和30年代に開催した近江の庭園写真展の関連資料なのですが、この写真には裏書がなく、どこの庭園かわからないままに今日お訪ねさせていただいたのです」『まぁ、この写真だけでここまで・・・』『確かにこれはウチの庭です。石組は江戸時代から変わっていませんのでね。』そぉですかぁ、そぉですよねぇ、アリガトウゴザイマス!。
ご住職夫妻とお話しできたことで、今回の旅がさらに充実したものに感じられました。
・・・なんだろう、1週間分の肩凝りもフッ飛ぶようなこの晴れ晴れとした気分は。。。正にライブ。生ライブ!。皆さん、現地を訪れるということは、とても大切なことなのでゴザイマスネ(笑)。

ちなみにこのお話には続きがありまして、後日、紙焼き写真の元となるネガフィルムが見付かり、そこにはきちんと「どこの何か」が書かれていたという・・・見事なオチがありました。。。さすが先輩。。。

ということで、まだまだ続く写真整理(笑)。ン千枚の写真の内の1枚が判明しただけですが、今後も新たな出会いが見出せそうな、文化館の歴史をたどる、楽しい、写真整理の旅はまだまだ続きます。。。

筆:あきつ

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お申込みはお済みでしょうか?「打出のコヅチ」第3回

京都の方からコンチキチンと祇園祭の話題が聞こえてくると、梅雨明けももうじきであることを感じます。豪華絢爛な祇園祭の様子はまた、古くから屏風絵などの画題としても好まれ、数多く描かれてきたので、皆さまもそういった絵画を幾度となく目にされたことがあるでしょう。
祭りを描いた祭礼図と言えば、京都の祇園祭とならんで、こちら大津の春を賑わす日吉大社の山王祭の様子を描いたものもたくさんあります。文化館では、そのうちの一つ「日吉山王祭礼図」という江戸時代の絵巻物を所蔵しています。
来たる7月20日(木)の文化財講座「打出のコヅチ」第3回では、「日吉山王祭礼図を読み解く」と題して、この絵巻物に注目します。長い歴史のなかで少しずつ様変わりしてきたという山王祭。その本来の姿はどのようなものだったのでしょうか?当館学芸員・渡邊勇祐が、絵巻の見方、そして読み方を詳しく解説いたします。
山王祭に行かれた方も、またこれから見に行きたいとお思いの方にも、祭りについてよく知るためには必聴の講座です。ぜひぜひご参加ください!

講座のお申込みは、滋賀県立琵琶湖文化館(TEL 077-522-8179/FAX 077-522-9634/メールbiwakobunkakan@yacht.ocn.jp)まで、以下の内容をお伝えください。
①お名前
②お住まいの市町名
③連絡先(電話番号)
④参加回(他の回と合わせてのお申込みも出来ます)
⑤講座のことを何で知ったか

それでは、みなさまと会場でお目にかかれることを、楽しみにしておりま~す!

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1枚の写真の確認 その①

この写真を見て、どこの何かわかる人?!!
現在僕は、写真資料の整理を行っています。こちらの写真は「庭園写真展」というBOXに入っていて、裏書のない、どこの庭園とも書かれていない白黒写真です。うぅ~ん・・・どこだろう・・・。
文化館の歴史を辿ると、昭和38年に「湖国庭園写真展」という展覧会を開催しており、「近江の庭園」というパンフレット(小冊子)も作成されています。どうもこの辺りにヒントがありそうな・・・?。以前に整理を行ったガラス乾板の中にも庭園の乾板がありましたし、年代的にはビンゴです。

パンフレットに掲載されている庭園は46ヶ所。その中にこれと同じ写真は採用されていません。おそらく関連資料として撮影されたものと思われますが、撮ったからには理由があるハズ・・・昭和30年代半ばの貴重な写真であるとするならば、そう簡単には諦められません。インターネットで[庭園 滋賀 指定]を検索し、続いて各有名どころの庭園を片っ端から調べていくと、一つ「もしかして?」と思われる画像に行き当たりました。いや、でも、写っている角度が違うので、確信は持てません。。。ここかなぁ。気になるなぁ。

それならば・・・!調査の基本である「現地確認」をするしかアリマセン!・・・いや僕の本職は事務職なんですケド?!。とりあえず気になってしまったのだからショウガナイ(笑)。行動あるのみ!です。

さて、このお話、少し長くなりそうなので、続きはまた今度ということで~~~。

※この時点で「これはあそこの庭園やで」と既に気付かれた方、即答できた方、僕、貴方とお友達でいたかった・・・。このブログでは、分からないことを何とか自分で解決しようと、悪戦苦闘する未熟な僕:あきつのドタバタ劇をお楽しみいただきたく、どうかあたたかい気持ちでお付き合い下さいませ。。。

筆:あきつ

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この夏は源信を学ぼう!

みなさま、ここ最近「源信」というお名前をよく見かけませんか?「源信」とは恵心僧都・源信のことで、平安時代に比叡山横川にいた天台宗のお坊さんです。彼が「往生要集」に説いた死後の世界である六道は、「六道絵」としても描かれ、私たちが想像する”地獄”という世界を確立しました。また、紫式部の『源氏物語』や芥川龍之介の『地獄変』に出てくる“横川の僧都”は、どちらもこの源信がモデルではないかと言われていますが、いつの時代にも影響を与えたお坊さんなのです。
今年はこの源信の没後千年という節目の年です。源信の出身地・奈良にある奈良国立博物館では、「源信 地獄・極楽への扉」展が7月15日から開催され、当館の収蔵品も出陳されます。(詳しくは「収蔵品公開情報」をご覧ください。)

そしてコチラ、滋賀県では、来たる7月9日(日)に「源信千年忌 往生要集六道絵の世界とその時代」という講演会が開催されます。実はこの講演会、近江歴史回廊倶楽部さんの主催で、講師として当館の上野良信学芸員が務めさせていただくこととなりました。源信が説いた浄土思想、そこから生まれた六道絵などの仏教美術について、詳しく解説させていただく予定です。一般の方の受講も可能です(ただし有料となります)ので、この機会にぜひ「源信とその時代」についてどっぷりとつかってみてください。

【仏教講演会】「源信千年忌 往生要集六道絵の世界とその時代」
】上野良信(琵琶湖文化館学芸員)
】13:30~15:30(13:00受付)
】大津ふれあいプラザ4階ホール
(大津市浜大津4丁目1-1 明日都浜大津)

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ホームページ6月のアクセス数

梅雨の真っただ中なのですが、地球温暖化の影響なのでしょうか?以前のようにしとしととした長雨ということは少なくなり、まるで熱帯地方の雨季のよう。晴れていたかと思えば、急変して激しい雷雨ということもしばしば。。。今日は今のところ曇り空ですが、いったいどうなるのでしょうか?天気予報もコロコロ変わり、予測のつかない毎日です。

予測のつかないものと言えば、こちらホームページのアクセス数もそうです。毎月はじめに、「たくさんの方に見ていただけたかしら?」と、心臓をドキドキさせながら集計データを見るのですが。。。さて、6月はというと。。。おかげさまで1,286件のアクセス数をいただき、平均サイト滞在時間も5月より伸びておりました!!多くの方に、じっくりと熟覧していただいているご様子で、こちらはホッと一安心。みなさま本当にありがとうございました。

検索用語の方も、まったく予測にない新たなものが毎月登場いたします。バラエティーに富んだ言葉での検索に、文化館のホームページがヒットするというのは、それだけこのホームページの内容が豊かであるという証拠でしょうか?ちょっとだけ自画自賛です(笑)。

今回は、「近江輿地志略 琵琶湖 名称 由来」というキーワードで、文化館サイトへ辿り着いた方がいらっしゃったようで、ご紹介しておきます。ここにある『近江輿地志略』というのは、江戸時代にまとめられた、近江国の地理や歴史について、とにかく何でもかんでも書いてあるチョー便利な(!!)本で、古い文献にある琵琶湖にまつわる様々な記述もたくさん集められています。
文化館では、滋賀県指定文化財となっている編纂者・寒川辰清の、なんと!!自筆本全100冊のうち94冊を所蔵しており、以前に「収蔵品紹介」でも取り上げています。いったいどんな本?とお思いになった方は、ぜひ一度のぞいてみて下さいね。内容については、翻刻版が出ているので、図書館などでご覧いただくこともできます。

さ~て、いよいよ7月に入りました。そろそろ夏休みのお出かけの計画も立てなければいけませんよね?文化館の収蔵品たちの中にも、この夏、滋賀を離れて、奈良や東京などあちこちの会場へおでかけするものがありますので、是非チェックしてみて下さい。(詳しくは「収蔵品公開情報」をご覧ください。)

それでは7月も、どんな話題が飛び出すか予測のつかない「あきつブログ」をどうぞ、よ・ろ・し・く!

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近世絵画の名品たち

このホームページの収蔵品紹介コーナーでも多数取り上げているように、琵琶湖文化館には仏教美術や歴史的な資料以外にも、江戸時代の絵画(近世絵画)の名品を数多く収蔵しています。そのため、近世絵画の出陳の依頼や本やテレビで紹介したいとの相談をよく受けます。

今回もその一例で、江戸時代の美術を網羅的に紹介した河出書房新社の新刊『江戸の美術 大図鑑』(監修:狩野博幸氏・並木誠士氏・今橋理子氏)において、当館の近世絵画5点が紹介されています。
掲載されている作品は、復古大和絵の土佐派に学んだ菊池容斎(1788~1878)の「鯉遊之図」や琳派・酒井抱一の内弟子である鈴木其一(1796~1858)の「紅梅水鳥図」、近年、奇想の画家として大人気の曾我蕭白(1730~1781)の「叡山図」(滋賀県指定文化財)、紀州三大南画家と称された桑山玉洲(1746~1799)の「山水図」、そして大陸の写実的な画法を学んだ宋紫石(1715~1786)の「柳汀双禽図」です。
このように琵琶湖文化館では、近世画壇の各派・各画風の作品を幅広く収蔵しており、さらに近江ゆかりの画人、画題の作品も重層してあります。
上記の作品はホームページの収蔵品紹介ですべてご覧いただくことが出来ますが、江戸時代の美術史全体のなかでどのように位置づけられる画人なのか、作品なのか、この本を読むと一層わかりやすく理解することができます。
このような形での当館の近世絵画分野の公開活用についても、皆さんに是非、注目していただければと思います。

学芸員W

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写真アーカイブ 番外編

以前のブログで、「湖上にお城ができるまで-写真アーカイブ」の一時休載をお伝えしましたが、2ヶ月が経った今回、「皆さまに紹介したい!」と思ったけれどコンセプトからすこ~し外れてしまうため、あきらめてしまった写真を1枚ご紹介しようと思います。

コチラの写真。はじめて見たとき「県庁が写っているけれど、どこの辺から撮影したものだろう?」と思っておりました。ですが、よ~~く目を凝らして見ると小さく”小舟入の常夜燈”が写っております。え?見えません?では、拡大してみますね。ほら、この通り!

江戸時代に小舟入(今の大津市中央4丁目)では石場と並び、草津・矢橋へ渡し舟を出していたそうです。“石場の常夜燈”は現在、文化館とびわ湖ホールの間にあるなぎさ公園の一角にあり(詳しくはコチラ)琵琶湖岸を歩く人々を見守っていますが、写真に写る“小舟入の常夜燈”は、湖岸道路(県道18号線)と京阪電車の線路が並走する南側、住宅街の中にひっそりと建っていてます。
ご紹介した写真は昭和30年代半ばに撮影されたもので、埋め立ての終わった打出浜 (現在の県警本部あたりでしょうか?) から、南側を撮影した写真のようです。今とは違って大きな道路もなく、高い建物もないため、県庁も顔をのぞかせています。

60年近くたった現在、湖岸沿いの歩道を歩きながら、南側を見ると、同じ場所とは思えないくらいに変わっています。様変わりした街の中に、200年たっても変わらない“常夜燈”があるのがとても不思議な感じがいたします。そして同時に古い写真に写っている今現在もあるものを見つけるとワクワクします。。。みなさまも懐かしい写真を片手にブラリと外に出てみてはいかがでしょうか?

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