週明けの月曜日、なんという寒さ!皆さん風邪など引いておられませんか? 11月に入ると、冷え込んだ朝には湖上で『蜃気楼』が発生し、文化館から眺める琵琶湖大橋付近はとても神秘的な風景・・・となっていましたが、今朝は更に比良山にうっすらと雪が積もっているのが見えます。なるほど寒いわけです。
かと言って、このまま冬ごもりするわけにはいきません!まだまだお出掛けしたい、していただきたい!と思う今日この頃。一つご提案させていただきましょう。
そろそろ各館で開催されていた秋の特別展も終わりを迎える頃・・・僕はこの時期に思い出すことがあります。それは、文化館で平成16年に開催した「フェノロサ・天心の見た近江」という展覧会です。勤め出して間もなく、社会の教科書でしか触れた事のなかった、でもこの業界(日本美術・歴史系)では当たり前の超有名人:アーネスト・F・フェノロサ、岡倉天心のことを、僕はこの展覧会を通して改めて勉強することとなりました。ま、ここではその勉強の成果はさておき・・・皆さん、フェノロサの墓所が大津市内にあることはご存知ですか?
そこは、三井寺の名で親しまれる園城寺唯一の律院「法明院」の境内の片隅にあります。
フェノロサは、明治時代に廃仏毀釈が進む中、日本美術の素晴らしさを再認識し、膨大な調査を行うことでその重要性を訴えた、いわば文化財の「恩人」ともいえる人物。この業界の片隅に身を置くものとして、また近くにその墓所があるのなら、展覧会のお礼も兼ねて一度お参りしたい、と現地を訪れたのでした。
それからはや十数年・・・ちょっとした散策も兼ねて、このたび久々に訪れてみました。街中から少し外れた山の中腹、静寂と小鳥たちの鳴き声は当時と変わりなく、とても神聖な気持ちになります。「十数年前あの時のあのご縁、今も繋がせていただいております。。。文化財たちは今も元気ですよ。」とご報告。なんだか初心に返った気分です。
今回は、皇子が丘公園のバイパス沿いにある駐車場に車を停めて、えっちらおっちら歩きました。駐車場から往復で約4,000歩弱。歩くのにはいい距離です。今は紅葉も見頃となっていることでしょう。是非お訪ね下さい。
ちなみにその後、まだ少し元気だったので、更に行動範囲を広げて、早尾神社にもお参りしてきました。こちらも三井寺さんと縁のある神社さんです。その境内にあった狛犬の一つが、なんとも可愛らしく胸キュン。。。近くの山上不動尊にも立ち寄り、自分はまだまだ知らないことがいっぱいある未熟者だな~と、新しい出会いに感謝しつつ、ちょっぴりご満悦・・・な時間を過ごしました。とさ(笑)。
筆:あきつ

がっしりとした首の白馬の姿が確認できますね。そう!こちらがその『木造神馬』です。ちらりとのぞく歯が今にも嘶きそうで、写真ではなかなか分かりづらいかもしれませんが、実際に目の前にすると、その荘厳さにホレボレする、かなりの「イケ馬(メ)ン」です。実際に皆さまにもぜひとも、ご覧いただきたい!


それはともかく、このようにいろいろと想像力を刺激される展示というのは良いですね~。あるテーマに沿って集められた資料を見て、ただただ見るだけでなく、そこから「あーではないか?」「こーではないか?」と、いろいろ考えてみる。これも博物館の展示の一つの楽しみかたではないかな?と思っています。
和服姿に凛々しいお顔のイケメン達の集合写真で、「京都画伯の肖像」となっています。これは繪畫叢誌五十四巻(発行兼印刷人 吾妻健三郎 明治24年9月25日発行)の附録に載っているものを、先輩学芸員さんがカメラでコピーしたもののようです。中には文化館の過去の展覧会でもお馴染みであった山元春挙や長谷川玉純、望月玉泉らの姿もあり、彼らが描いた作品は知っていたものの、描いたご本人まで知らなかった僕は、この画像にとてもコーフンしました。作品の印象と描いた本人が一致・・・想像がふくらみます。。。
そうです、何を隠そう、この方が岸竹堂御大!僕の中では、『岸竹堂=「(昭和49年文化館の年賀状にも使用した)虎図」を描いた人!』のイメージだったので、
なるほど、ピッタリ納得のイメージです(笑)。今回浮城モノ語りで紹介した作品には狸がいましたね。もしかして動物好き?「かわいい」よりも「野生」の魅力に惹かれた方だったのかもしれません。勝手な妄想ですが(笑)。
平成28年(2016年)、ユネスコ「世界の記憶」への登録に向けて日本のNPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会と大韓民国の釜山文化財団が共同で申請していた『朝鮮通信使に関する記録』について、ユネスコ国際諮問委員会での審議を経て正式に「登録」が決定された!とのことです!
ではここで皆さん、想像力を膨らませてみましょう。「琵琶湖図」の中で朝鮮通信使が描かれているのは、大津の湖畔。私たちにも馴染みの道を、異国の服を着た人たちがワイワイにぎやかに通って行ったと思うと、ちょっと楽しい気分になりません?これが「琵琶湖図」の楽しみ方、異文化交流の第一歩です。
藻刈船:スーパカイツブリの今年の操業は終了したと聞いています。では、どうするか?・・・そこは人力でなんとかするしかありません。


先日、とある事情で今まで踏み込んだことのない我がお城:文化館の深部に足を踏み入れてまいりました。そこは暗闇・・・音の無い静かな隠し部屋・・・一体何がおこるのか・・・。
懐中電灯が照らすその先に見たもの:琵琶湖文化館建設の際に据えられた大きな棟札と、建設費協力箱!なんと「
今年は例年より少ないと言えども、少し離れた沖合には、ジワジワと湖岸に寄って来そうな藻のカタマリが・・・。作業をされている方に聞くと、「今年は藻が岸に寄る前に沖合で一網打尽作戦!」なのだそうです(笑)。なんとも頼もしい。湖岸に建つ浮城:文化館としても大変有り難く、とてもお世話になっています。







みなさん、ご存知ですか?県内の様々な分野の数ある文化財を守り、次世代につなげようと尽力なさっている滋賀県の教育委員会事務局文化財保護課さんが、今、
ここで一句 『浮き城に とまったとんぼ あきつくん』


と、そんなタイミングに、世間で盛り上がっていたのが、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」。主人公直虎の幼なじみで、時には敵になり味方になり直虎を陰で支えた小野政次が、壮絶な最期を遂げる回の放送でした。政次を演じた俳優高橋一生さんの演技力にも注目が集まり、「政次ロス」の人が増えるなど、インターネットでも連日話題となっていたましたね。




年代物の写真を前に、途方に暮れていた私たちですが、そこへ現れた救世主がこの方:今回の講座の講師先生でいらっしゃいます、滋賀県教委文化財保護課(民俗担当)の矢田直樹さんです。急遽こちらがお願いしたヘルプ!の要請を、快く引き受け下さった矢田さんは、お宝写真を眺めて、「おぉ~なるほど」「すごくいいですね」を連発!当時の様子にコーフンしながら、それはもう楽しそうに僕たちに詳しく説明して下さいました。
だから僕のテンションも上がっているわけです↑↑。
そこで気付いたコト・・・武将の肖像画には、体型・体格を想像させる「立ち姿」が残されていない?!戦や合戦の場面では、ガッチガチの甲冑姿ですもの、体型まで分かりませんよね。それが狙いだったのか、流行だったのか、座り姿の肖像が定番であるように思います。聞くところによると、エライ武将さまは神様・仏様と同じとされ、その威光により念珠や袈裟を掛けていらっしゃることもあるとかなんとか・・・そんな偉大な方に何時間も立ってていただくことはできませんよね?とにかく「戦国時代の武将の肖像画には立ち姿がない」というのが、『あきつ妄想研究所』の見方です。。。

インターネットで検索をし、アタリを付けたのは、長浜市にある「孤蓬庵」さん。こちらは、小堀遠州(1579-1647)の菩提を弔うため、江戸時代前期に開山した臨済宗大徳寺派のお寺で、遠州が京都大徳寺に建立した孤篷庵にちなんで、近江孤篷庵とよばれています。昭和34年4月には、庭園の石組み等が江戸当初の遠州流庭園の基本的な条件を遺しているということで、滋賀県史跡名勝にも指定されました。
っと、ここで今回のミッションを思い出せ!・・・お目当ての石はいづこに???あった!ありました!本堂の南西側、イブキリンドウの群生が広がるその奥に、石組みが確かに!!あぁなんだろう。アイドルの追っかけをして現地でご対面しちゃった気分(笑)。テンション上がります~!
北東面の池泉回遊庭園→)